2021年4月24日土曜日

フランス革命④[ マルグリットと首飾り事件(後編) ]

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 「王妃マリー・アントワネット」(遠藤周作著、新潮社)から、フランス革命当時の庶民の代表として、少女マルグリットと修道女アニエスを中心にあらすじをまとめた。これは、その後編で、首飾り事件に端を発した革命によって、マリー・アントワネットが処刑されるまでが描かれている。

 

 フランスは、深刻な財政危機に陥っていた。物価の上昇と増税が庶民を苦しめた。庶民とは、第三身分と呼ばれる商人や農民のことで、その喘ぎ声は悲鳴や怒号に変わりつつあった。しかし、貴族や聖職者たちは特権に守られ、貧困とは無縁の場所でくらしていた。

 そんな金持ち連中を相手に、カリオストロ博士は、怪しげな心霊術の会を催しては大金を稼いでいた。フランス第二の都市リヨンの社交界で、彼のホラ話とインチキな神秘体験は注目の的となり、高額にもかかわらず毎回押すな押すなの大盛況だった。

 彼がパリを離れたのは、宮廷でマリー・アントワネットを占ったことがきっかけだった。不安を煽ることでひと儲けしようと「王家の没落」を予言したのだが、王妃の受けた衝撃は予想以上に大きく、パリを追放される羽目になってしまったのだ。一方、世間知らずで正直なマリー・アントワネットは、権謀や術策のはびこる宮殿への嫌悪感や、王家没落の不安を紛らわすために、以前にも増して刺激的な遊びを求めるようになった。

 革命に関心はないが王政には反対で、ヨーロッパ随一の詐欺師を自負するカリオストロは、マリー・アントワネットにパリ追放の恨みをはらす機会を狙っていた。この地域を縄張りにしているヴィレットの一味に、パリで知り合った娼婦のマルグリットが加わっていることを思い出し、ひとつのアイデアがひらめいた。「彼女はどことなく、王妃に似ている。」

 パリに乗り込んだカリオストロは、ヴィレット夫人とマルグリット、それにウサギのおばさんの3人に加えて、大芝居にふさわしい役者としてラ・モット伯爵夫人も仲間に加えた。彼女の家は、落ちぶれた男爵の家系だったが、父を早くに亡くすと、義理の父母からは路上での物乞いを強制されて育った。見かねた貴婦人に拾われ保護されたが、その親切心さえも抜け目なく利用してのし上がり、現在では宮廷に出入りできるまでになっていた。

 彼らは、ロアン枢機卿に狙いを定めた。派手好きで宰相の地位をねらう野心家だが、聖職者らしからぬ女癖の悪さを、王妃に毛嫌いされていた。宮廷内で権力を得るには、王家の後ろだてが欠かせない。そこにカリオストロと夫人はつけ込むことにした。

 夫人は枢機卿に、前王が愛妾のために注文した首飾りのあることを教えた。購入前に亡くなり、買い手がつかないままになっているが、宝石に目のない王妃マリー・アントワネットには、最適の贈り物になるはずだと吹き込んだ。

 160万リーブルはあまりにも高額だが、宰相の椅子が買えるのなら高くない、と枢機卿の心は動いた。が、それだけでは王妃が得をするだけで悪党らの儲けにはならない。そこで、「実は・・・」と夫人は声をひそめた。「王妃は、他人から贈り物として受け取るには高価すぎると、おおせだ」支払いは王妃自身で行うが、高価な買い物を王には知られたくないので、信頼できる代理人を探している、と伝えた。


 カリオストロとラ・モット夫人が、毎日のように打ち合わせをしている間、マルグリットは、退屈しのぎに川の岸辺を散歩していた。すると、すれちがった女工のひとりに声をかけられ、それは、文字を教えてくれた修道女のアニエスだった。マルグリットの元気な姿を見て喜び、修道女をやめた訳ではなく、貧困に苦しむ人々に対する教会の煮え切らない態度に耐えきれず、外で働く許可をもらったのだ、と語った。


 ラ・モット夫人は、王妃専用の便箋を盗み出し、偽手紙をつくった。枢機卿は、王妃の感謝のことばを目にして、からだを悦びで震わせた。やっと王妃の信頼が得られたのだ。すぐさま、宝石商に出向き契約書にサインをした。2年間の4回払い、最初の支払い日は半年後である。

 受け渡しの日が来た。一台の馬車がラ・モット夫人の邸の前に停まり、中から宝石箱を手にしたロアン枢機卿が降り立った。ウサギのおばさんは、召使いの扮装で「伯爵夫人はお待ちかねでございます」と邸内の奥に案内した。すると、王妃の側近に扮したヴィレット夫人がゆっくりと現れ「王妃様に代わって、厚く御礼申しあげます」と宝石箱を受け取った。おごそかに「王妃様は近く、謁見をおゆるしになるでしょう」と言って、退室した。

 首飾りの受け渡しが行われてから、数ヶ月が過ぎた。それにもかかわらず、王妃から何の返礼もないことを、さすがの枢機卿も不審に思いはじめた。「王妃様に、きちんと届いているのだろうか?」と、不安な気持ちを打ち明けると、ほどなくしてラ・モット夫人から「お目通りが許されました」とのうれしい報せを受けた。

 謁見は、人目につきにくいトリアノン離宮の庭で行なうと言われ、夕暮れの中、枢機卿が一人で待っていると、数人の人影が現れた。そこには、縁の広い帽子をかぶった王妃らしい女性の姿もあった。思わずひざまづき、「光栄に・・・」とまで言ったが、緊張のあまり、あとは言葉にならなかった。マルグリットが吹き出しそうになるのをこらながら、ねぎらいの言葉をかけると、枢機卿は、おろおろしながら、ありがたいとか光栄とかの言葉を繰り返した。頃合いをみはからって、ヴィレット夫人が「人が参ります、お急ぎください」と声をかけ、宮廷人になりすました詐欺師の一団は姿を消した。

 その夜、カリオストロは、リヨンから連れてきたマルグリットら3人の女たちを集めた。2度の芝居をやりおおせた彼女たちは、宝石の分け前を貰えるものと思い込んでいた。しかし、「宝石には手をつけるな。重罪になる」「捕まるのは、ラ・モット夫人ひとりで十分」と、カリオストロは言った。そして、夫人には内緒で、明日、最後の仕事をすることになった。

 翌朝、ミサを終えたばかりの枢機卿を、ヴィレット夫妻が訪ねた。二人を王妃の側近と信じ込んでいる枢機卿が昨夜の礼を述べ用件をたずねると、夫人が「首飾りの代金を、王妃様に貸していただけないだろうか」と、切り出した。枢機卿は、自分で支払いに行くつもりだったのだが、「代金を借財で工面したことが知れると、王妃様の体面にかかわる」「ご好意には、十分報いさせてもらう」と説得され、疑うことなく、金貨のつまった箱3つを渡した。その夕方、カリオストロとその仲間たちはホテルをひき払い、風のようにパリを去った。

 カリオストロが、大金をせしめ姿を消したことを知ったラ・モット伯爵夫人は、最初こそ動揺したが、すぐに落ち着きを取り戻した。「彼らが手にした金貨より何倍も価値のある首飾りは、まだ自分の手の中にある」「ロアン枢機卿が、恥さらしなこの件を、自分から公表することはない」と計算し、表沙汰になる前に国外へ逃げれば大丈夫と考えていた。

 しかし、宝石商が王妃あてに請求書を送ったために、予期したよりも早く事件が発覚した。まず、ロアン枢機卿が、次いでラ・モット夫人が逮捕された。カリオストロらが滞在しているリヨンにも、すぐにこのニュースが届いた。彼らは、稼いだ大金を分配し、散り散りに潜伏することにしたが、犯罪の芸術家を気取るカリオストロは、「金のためではない」と言って一文も受け取らなかった。

 マルグリットとウサギのおばさんは、地中海に面した港町、マルセイユへ逃げた。南仏の人々は、朗らかで楽しげだったが、この地方でも農民の暴動があちこちで起きていた。一方、カリオストロは、逮捕され連行されたものの、無罪となり釈放された。それどころか、パリでは彼の不思議な術や治療を信じる人々を中心に、王室による不当な弾圧だと、抗議する声が大きくなっていた。

 フランスがイギリスに対抗して、アメリカの独立戦争につぎ込んだ戦費は20億リーブルに達し、財政破綻の責任は、マリー・アントワネットにはなかった。しかし、人々の貧困に対する怒りや憎悪の矛先は、よそ者である彼女に向けられた。そのため、王妃に不敬罪をはたらいたラ・モット夫人には市民の同情が集まり、多くの義捐金や差し入れが寄せられた。その中に、差出人不明の手紙が1通あった。署名はなかったが、脱獄のことを匂わせており、夫人にはカリオストロの筆跡であることがすぐにわかった。

 ラ・モット夫人に脱獄の手順を伝えたのは、見知らぬ修道女だった。名前は隠したまま「マルグリットに頼まれた」とだけ言って姿を消した。夫人が、教えられた場所の扉を押すと、鍵が外れており外にでることができた。そのまま、塀の外に待っていた馬車で脱獄すると、英国にまで逃れた。そこで夫人は、マリー・アントワネットの根も葉もないスキャンダルを書き散らして、再び大金を手にしたが、5年後に窓から転落して絶命した。


 アニエス修道女は、市民の困窮に対する教会の矛盾した態度に業をにやし、ミラボーやロベスピエールなど、革命家たちの論文に希望を見出そうとした。中でも、彼女が共感したのは宗教家でありながら、教会の怠惰を批判し、貴族や大地主などの特権身分を厳しく攻撃するシエイエス副司教のパンフレット「第三身分とは何か」だった。

 それには、市民や農民など第三身分の人々こそが、特権身分の不正を正すことができる、と書かれていた。彼の主張は、後の革命指導者たちにも強い影響を与え、特権階級による議会ではなく第三身分による議会、すなわち国民議会を設立しようとする動きが活発になっていった。


 首飾り事件のほとぼりが冷めた頃、マルグリットとウサギのおばさんはパリに戻り、オテル・オルレアンを改修した。見違えるほど立派になったホテルの切り盛りがマルグリットの仕事になった。パリでの生活が順調にすべり出した7月12日。「第三身分、万歳」「王政を倒そう」と声を上げながら、多くの群衆が押し寄せてきた。その行列の中から「マルグリット」と呼びかけてきたのは、アニエス修道女だった。

 いつになく興奮したようすで「人々が、不正にたいして立ち上がった記念すべき日だわ」と語り、行進に加わるよう誘った。マルグリットの手をにぎり、脱獄を助けた謝礼金が、カリオストロから送られてきたことや、それを女工たちに分け与えたことなどを話した。しかし、この日の行進は、傭兵部隊による威嚇射撃によって解散させられた。

 7月13日、昨日よりも多数の市民がパレ・ロワイヤルに集まり、市民軍が結成された。第三身分の代表者たちが、何人も壇上に立ち気勢をあげたが、この日はそれだけで解散した。ほとんどの者が丸腰の市民軍では、傭兵部隊に太刀打ちできないからだった。

 7月14日、マルグリットと共にアニエス修道女も行進に参加した。純情な修道女が、まずしき者と連帯し、信仰に即して行動できることの幸せを熱っぽく語っても、マルグリットには関心がなかった。彼女には、群衆の興奮が頂点に達したときの爆発が楽しくてしかたないだけだった。

 指導者たちにとって、この日の行進は武器の調達が目的だった。しだいに数を増しながら、八千人が廃兵院前の広場を埋め尽くすと、入り口からなだれ込み、無数の銃と大砲を奪い取った。勝利にうかれパンや酒を略奪しながら、市民軍は弾薬の保管されているバスチーユ牢獄を目指した。午後1時半、市民軍によって牢獄は完全に包囲され、交渉が決裂した2時前から銃撃がはじまった。大砲の威力はすさまじく、元城砦のバスチーユも午後4時には陥落した。

 アニエス修道女は、負傷した男たちの治療を続けていた。マルグリットは、降伏したロネー司令官を男たちに混じって取り囲んでいた。「殺せ、殺せ」や「私刑(リンチ)は許さん」という声が交錯する中、鞭で打たれたおばさんの悲鳴を思い出したマルグリットは「人殺し」と叫んで唾をはきかけた。不安そうな目で「しかし・・・お嬢さん」とつぶやいた司令官は、やがて首だけを銃剣の先に刺され、高々と掲げられた。アニエス修道女は、顔を覆い「神さま、これが・・・わたくしの望んでいた革命でしょうか」と、思わずつぶやいた。


 バスチーユ牢獄が陥落すると、多くの貴族たちはわれ先にヴェルサイユを離れ、国外に脱出した。国王の一家はフランスにとどまっていたが、群衆の圧力には逆らえず、ヴェルサイユからパリのチュイルリー城に追い出された。革命の勢いが、誰にもコントロールできないほどに大きくなると、その暴走を危険だと感じる者たちも現れた。

 ミラボーやシエイエスなど古くからの指導者の一部が、王室と手を結ぼうとしていることを察知したロベスピエールは、配下の地区委員に王宮内の動静を探らせることにした。地区委員がスパイとして、王宮に送り込んだのは、マルグリットだった。召使いとして働きながら、出入りするミラボーやフェルセンのようすを報告した。そうとは知らず、王家の脱出計画を進めていたフェルセンは、監視の目をごまかすために、マルグリットを王妃の身代わりにしようと考えた。

 命じられた通りに、王妃の部屋を片付けているマルグリットの姿を、警備兵が王妃と勘違いしている間に、国王一家は全員が馬車に乗り込み城を脱出した。彼らの逃亡が明らかになったのは、夜明けを迎えてからだった。その2日後に、王家の馬車は、東部国境ちかくの町ヴァレンヌで捕らえられ、パリに連れもどされた。国と民を見捨てて亡命を図った国王に対し、民衆の怒りが爆発した。「縛り首にせよ」「殺せ」と叫びながら街を練り歩く群衆の列が続いた。


 マルグリットが逃亡に利用されたことを、地区委員がこわごわと報告すると、ロベスピエールは彼女を表彰するように命じた。市民の間に根強く残っていた、国王一家への同情心を、憎しみに変えた功労者だというのだ。一方、アニエス修道女は、バスチーユ襲撃に参加していたことをとがめられ、教会を離れて革命の道に進む決意をした。しかし、革命の名の下に堂々と行われる殺戮と暴力には耐えられなかった。

 革命派が実権を握ったフランスと、ヨーロッパ諸国との間で戦争がはじまると、指揮系統の定まらないフランス軍は、各地で敗戦を重ねた。これを、王と王妃は密かに喜んでいたが、革命の存続に危機を感じた民衆の武装蜂起を招いた。王宮を警護する傭兵部隊は、群衆を蹴散らすだけの兵力を備えていたが、王は銃口をフランス人民に向けることを嫌い、ついに王政は幕を閉じることになった。

 パリに潜入していたフェルセンは、この混乱に乗じて、国王一家の救出を再度試みることにした。彼と意気投合したヴィレットや、革命派だが王家の処刑には反対の元修道女アニエスらも計画に参加したが、このときマリー・アントワネットは、王妃の責務として王とともに運命を受け入れる覚悟だと語り、逃亡を拒んだ。フェルセンは「深い絶望が、王妃を気弱にしている」と考え、救出のための努力をやめなかったが、マリー・アントワネットは、王が処刑された後も、彼の誘いに応じることはなかった。


 フランスにとって戦況がますます厳しくなると、パニック状態になった市民によって「9月の虐殺」が引き起こされた。デモ隊は反革命の疑いのある家々を、貴族や平民の区別なく襲い、3日間の間に二千人が犠牲になった。アニエスは、凶暴な群衆の中にマルグリットを見つけ連れ戻そうとしたが、「わたしたちは当然の仕返しをしているんだ」と言い残し、どこかに去っていってしまった。


 アニエス元修道女は、革命派による恐怖政治や群衆の残虐行為を受け入れることができず、ついに自らが断頭台の階段を登ることになる。

 アニエスの処刑を見届けたマルグリットには、断頭台に流れる血を目にしたときに感じる、いつものような高揚感はなく、後ろめたい気持ちだけが残った。

 その何日か後に、マリー・アントワネットの処刑が行われた。断頭台の上で、彼女の首が高々と持ち上げられるのを見ると、なぜか涙が出て止まらなくなった。怒鳴られ叩かれた少女時代や、街頭で震えながら客を待っていた自分の姿を思い出し、そのすべてが終わったと思った。


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