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2023年8月9日水曜日

天文学こと始めⅢ ー①炎色反応と赤方偏移ー

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○ 星は何でできているか(炎色反応と分光学)

 光にはさまざまな色がある。虹が7色に見えるのは有名で、虹のアーチの外側には赤色、内側には紫が配色されている。目に見える光だけでなく、見えない光もある。虹にも、赤色の外側に目には見えない赤外線と呼ばれる光があり、紫色の内側には紫外線がある。

 物質は、高温になると光を発して輝き始めるが、その色は原子の種類によって決まっていることが、1752年にスコットランドの物理学者トマス・メルヴィルによって発見された。これは、炎色反応と呼ばれ、身近な例では花火に様々な色をつけるのに利用されている。

 原子は、加熱されると光を発するようになるが、それだけでなく、発するのと同じ色を吸収する性質のあることもわかった。そこで、物質から出てくる光を色ごとに測定し目に見えない光についても詳しく調べることで、科学者たちは遠くで輝いている星の温度だけでなく、成分も知ることができるようになった。


 この新しい学問、分光学によって太陽は大気の75%が水素であることがわかった。残りの25%を占めている気体はヘリウムと名づけられたが、当時はまだ未知の気体で、地球上で存在が確認されたのは、その25年後だった。

 太陽より遠い星たちについても、次々とその成分が明らかにされていった。それによって、遠くの星も地球と同じようなありふれた元素でできていることがわかった。古代の哲学者たちが考えていたような、地上の物質とは無縁の「第五元素」等ではないことがはっきりした。


○ 宇宙は膨張している( 光のドップラー効果)

 分光学を使うと、天体の温度や成分だけでなく、動いている物体の速さも知ることができる。なぜ光で速さを測れるのだろうか。


 サイレンを鳴らして救急車が走っていると、その音だけで動いている方向を判断できることがある。近づいてくる時はピーポーが高く、通り過ぎると低く聞こえる。これがドップラー効果で、光の場合には色合いが青っぽくなったり、赤っぽくなったりする。それを肉眼で確かめることはできないが、分光器を使うと正確に測ることができ、スピード違反の取り締まりや球速を測るスピードガンなどに利用されている。


 天文学の分野では、相手が遠ざかっているときに赤っぽくなる「赤方偏移」が有名で、その逆の「青方偏移」はあまり聞かない。なぜだろうか。


 1912年にヴェスト・スライファーが初めて、ドップラー効果を使って銀河の速度を測定したときに、15年間をかけて測定した45個の「銀河」のうち、地球に近づいているのは4つだけで、残りの41個は地球から遠ざかっている「赤方偏移」を示した。

 この結果は、当時の天文学者たちを混乱させた。まるで宇宙全体が銀河系を嫌って逃げ出しているように見えたからだ。当時の天文学者が想像していたのは、宇宙空間にバランスよく銀河が分布し、近づくものもあれば遠ざかるものもあるだろうけれども、それらの数はほぼ半々という宇宙の姿だった。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


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天文学こと始めⅢ ー②ハッブルと逃げていく銀河ー

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○ 膨張する宇宙

 ハッブルは、ウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡を使って、逃げていく銀河の謎に挑むことにした。忍耐力に優れた助手のヒューメイソンと共に2年間で46の銀河を観測することで観測技術を向上させ、さらに工夫を重ねて次の2年間には最初の頃の20倍も遠くにある銀河まで観測できるようになっていた。

 ハッブルの観測でも、すべての銀河は「赤方偏移」を示していた。つまり、地球から遠ざかる方向に運動していたのだ。それだけでなく、銀河の遠ざかる速さが地球からの距離に比例していることもわかり、これは「ハッブルの法則」と呼ばれた。ただし、これは地球の所属する銀河系から他の銀河が一斉に逃げ出しているわけではなくて、すべての銀河どうしが互いの間隔を広げ、遠ざかりつつあることを示している。つまり、どの銀河から宇宙をながめても、宇宙にあるすべての銀河が自分から遠ざかって行くように見えるということだ。


 変化しないと思われていた、時間や空間
も伸び縮みすることを、アインシュタイン
が明らかにした。空間の拡大は風船のふく
らむようすに例えられる。
 風船の表面にある銀河どうしの間隔は広
がっても、その中にある星と星の感覚は、
銀河内部の重力によって、一定に保たれる。

 ハッブル自身は、精度の高い観測に専念し、その結果から推察される宇宙の未来や過去の姿には、あまり関心を払わなかったが、これを宇宙が膨張している証拠と考えた科学者もいた。彼らの考える宇宙の誕生は、まず宇宙の全物質がごく小さな一箇所に押し込められていて、それが爆発的に広がり現在の姿にまで大きくなったというものだった。拡大している銀河の速さから逆算して、その爆発が起きたのは18億年前というふうに計算することもできた。ただし、現在では、爆発(ビッグバン)が起きたのは138.2億年前と考えられている。

 このまま膨張が進むと、宇宙はしだいに密度が小さく希薄になって滅びるとも考えられた。しかし、安定して永遠に続く宇宙を信じている天文学者の方が多く、「遠くの銀河ほど速度が大きいのは、速いから遠くまで行けたのであって当然の結果。宇宙が膨張していることの証拠にはならない」や、「銀河から逃げ出した光は、銀河の重力によってエネルギーを奪われるので赤方偏移を起こす。銀河が遠ざかっているわけではない」などと反論した。

 中でも、宇宙が誕生したはずの18億年前よりも古い、34億年前に形成されたと思える岩石の存在は、頭の痛い問題だった。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


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天文学こと始めⅢ ー③ヴァルターと宇宙の年齢ー

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○ 宇宙が誕生したのはいつか?
 宇宙の年齢を知る取り組みは、ハッブルの法則が発表される200年前、18世紀になって本格化した。手がかりとして、最初に選ばれた資料は旧約聖書で、アッシャー大司教の算出した「紀元前4004年10月23日土曜日」がもっとも信頼のおける値とされた。しかし19世紀にダーウィンの進化論が発表されると、進化には膨大な時間が必要なはずだと考える人々を中心に、地球と宇宙の年令を科学的に突き止めようとする活動がはじまった。
 地質学者からは「堆積岩ができるのには数百万年が必要」や「高温でどろどろに融けた地球が冷えるのに2千万年かかる」などの意見が出された。やがて年代測定に放射性崩壊が使われるようになると、地球の年齢は5億年・10億年と、どんどん古くなり、現在では64億年と言われている。

 天文学者として、この問題に取り組んだのはヴァルター・バーデで、第二次世界大戦後にアンドロメダ銀河までの正確な距離を測定しなおした。完成したばかりの200インチ望遠鏡によって、距離を知るための基準であるセファイドに2つのタイプがあることを発見し、アンドロメダ銀河までの距離が実際には、ハッブルの推定した距離の2倍であることがわかった。
 アンドロメダ銀河を基準にして、他の銀河までの距離を推定していたので、この修正により、すべての銀河までの距離が2倍に広がった。そして、宇宙が現在の大きさまで膨張するのに必要な時間も、2倍の36億年ということになった。
 さらに、その2年後にはアラン・サンディッジが、星のように輝く水素ガスの広がりを発見したことで、銀河との距離はさらに広がった。それにともなって、宇宙の年齢も増え100億から200億年の間となった。ずいぶんと幅はあるが、ともかくこれで宇宙の年齢より古い岩石の問題は解決した。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


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天文学こと始めⅢ ー④ガモフとビッグバン理論ー

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○ 原子の誕生と宇宙背景放射
 ウクライナ出身の物理学者ジョージ・ガモフは、共産主義のイデオロギーによって研究が左右されるのを嫌い、亡命を図った。1回目は、妻とカヤックで黒海を渡ろうとして失敗した。そこで2回目は、物理学者の国際会議を利用してそのまま帰国せず、2人でアメリカに渡った。
 ジョージ・ワシントン大学の教授になると、学生だったラルフ・アルファらと共に、宇宙で最初の原子が誕生した過程を明らかにしようとした。

 水素原子からヘリウム原子のできる核融合反応が、太陽の内部で起きていることがすでに知られており、ガモフらも宇宙で最初にできた原子は軽くて構造が簡単な水素で、それが互いに融合して重い元素に変わったと考えた。
 しかし、太陽内部の反応では水素とヘリウムの割合が、現在の宇宙と同じになるまでに270億年もかかることが分かり、ヘリウムをもっと速く生成させるために、ビッグバンによる核融合反応も合わせて計算することにした。
 数学がにがてなガモフに代わって、アルファが膨大なこみいった計算に取り組んだ。その結果、ビッグバンの環境だと300秒あれば、水素とヘリウムの比率が現在の宇宙と同じになることが分かった。
 1948年に発表されたこの論文はアルファ・ベータ・ガンマ論文と呼ばれ、新聞にも「世界は5分で始まった」と大々的に取り上げられた。「ベータ」はガモフの友人で有名な原子物理学者ハンス・ベーテで、この研究には無関係だったが、著者名にアルファ、ベーテ、ガモフと並んだ方がアルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)を連想させて面白いという、ガモフのイタズラ心から共著者に加えられた。
 ヘリウムより重い原子の生成についても、解明をこころみたが、最初の300秒を過ぎると温度が下がるので核融合は起きそうになかった。重い元素の合成が袋小路に入ったまま、彼らは別の側面からビッグバンの検討をしていくことにした。

 アルファは、新たに加わった同僚のロバート・ハーマンと共に、初期宇宙のようすを次のようにまとめた。
①ごく初期の宇宙は、莫大な量のエネルギーに満ちていた。このときはまだ、物質の進化は起きなかった。
②その直後の数分間が、アルファ・ベータ・ガンマ論文で扱った時代で、適度な高温・高圧の環境になり水素やヘリウムなどの軽い原子核が作られた。
③軽い原子核が生成されると宇宙の温度が100万度にまで下がり、核融合は起きなくなったがすべての物質はまだプラズマの状態だった。プラズマとは電子が原子核を離れてとびまわっている状態で、そのとき存在していた光は霧に包まれたようになって空間を進むことはできなかった。
④30万年が過ぎると、宇宙の温度が3千度にまで下がり、電子と原子核が結合した。つまり、プラズマ状態から安定した原子の状態にかわった。
⑤とびまわっていた電子が空間からいなくなり、電子の霧が晴れたので、光が宇宙空間を進めるようになった。
 ここで2人は、⑤の光は、今も宇宙を突き進んでいるはずだと気づいた。そして、現在では赤方偏移によって波長が1mmに伸び、マイクロ波になっているだろうと予測した。

 ガモフ、アルファー、ハーマンの3人は、ビッグバンが実際に起きたことの証明として、マイクロ波を探してくれる研究者を探した。それは、宇宙のあらゆる方角から検出されるはずだった。しかし、技術的な難しさに加えてビッグバン説に対しても懐疑的な研究者が多く協力は得られなかった。あちこちを訪ねては説得を試みたが、5年後、3人はついにあきらめて別の研究分野へと移った。これには、ガモフの冗談好きが災いしたかも知れない。彼はハーマンにデルタ(Δ)と改名するように迫っていたそうだ。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。

天文学こと始めⅢ  ー⑤ホイルと定常宇宙理論ー

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○ 重い元素の合成

 英国の研究者フレッド・ホイルとトマス・ゴールド、ハーマン・ボンディの3人は、独自の宇宙モデルを考案し、ビッグバン理論に対抗した。彼らのモデルは、膨張を続けながら、それとは矛盾せずに宇宙の永遠不変を可能にしていた。

 それは、銀河と銀河の間隔がひろがり、宇宙が2倍に膨張しても、古い銀河と銀河の間に新しい銀河が誕生することで密度が保たれる、というものだった。計算によると、100年に1度、エンパイヤステートビルと等しい体積の空間に原子が1個誕生すればよいのだそうだ。


 彼らの「定常宇宙モデル」と「ビッグバン・モデル」は、どちらも決め手となる観測データを得られないまま、論争だけが続けられた。皮肉にも「ビッグバン」の名づけ親はホイルで、彼が相手の理論を茶化して使った言葉が、両方の支持者から受け入れられ定着したのだ。

 また、ホイルは終末を迎えた星に着目することで、ヘリウム原子より重い元素がつくられるまでの道筋を示した。星はその重さに応じて、大爆発を起こしたり、静かに燃え尽きたり、さまざまな終わり方をする。

 彼はあらゆるタイプの星について、その終末までに内部の温度と圧力がどう変化するかを計算した。その結果、ほぼすべての元素が合成できるだけの、さまざまな高温・高圧の組み合わせがそろっているだけでなく、鉄や酸素は豊富なのに、金やプラチナが少ないことの理由も説明できるようになった。





 彼の目的は定常宇宙理論の強化だったが、これはビッグバン理論の行き詰まりを解決することにもつながっていた。つまり、ビッグバン直後の高温の中で水素やヘリウムなどの軽い元素がつくられ、それらが集まってできた輝く星の内部で、鉄などの重い元素は合成されていたのだ。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


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天文学こと始めⅢ ー ⑥宇宙マイクロ波背景放射の発見ー

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○ 宇宙背景放射とゆらぎ(電波望遠鏡)

 大学を卒業したばかりのカール・ジャンスキーは、ベル研究所で無線電話の雑音対策を担当していた。毎日発生する正体不明の妨害電波に悩まされていたが、きっかり23時間56分おきにやってくることを話すと、天文学にくわしい先輩から、太陽系より外にある天体が原因ではないかと教えられた。

 この「銀河電波」の検出が、電波天文学の幕開けとなり、定常宇宙モデルとビッグバン・モデルの争いに決着をつけることになった。

 マーティン・ライルは、比較的新しい銀河だけが電波を発信することを知り、5000個の電波銀河がどのように分布しているかを調べた。すると、どれも地球から遠く離れた銀河であることがわかった。

 定常宇宙モデルが正しければ、古い銀河の間に新しい銀河が生まれるので、電波銀河(新しい銀河)は近くから遠くまで均等に散らばっているはずだった。一方、ビッグバン・モデルでの銀河は、一斉に誕生しどれもほぼ同じ年齢のはずだが、光の速度に限界があるので、距離によって見え方が異なる。遠くの銀河からは、光が届くまでに時間がかかり、地球からは昔の新しいときの銀河の姿しか見えない。という訳で、ライルの結果はビッグバン・モデルの正しいことを示していた。


 その後、さらに説得力のある証拠が確認された。ベル研究所で電波望遠鏡の雑音を取り除くことに精力を注いでいたアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンは、どの方向に向けても必ず入ってくる雑音のあることに気づいた。それは、一日中、あらゆる方向からやってくる波長1mmの雑音電波だった。

 手を焼いた2人は、四六時中このことを議論し、天文学の専門家会議の時にも軽い気持ちでこの話をした。すると、2ヶ月後にバーナード・バークから電話があり、その雑音電波こそビッグバンの証拠となる「宇宙マイクロ波背景放射(CMB放射)」ではないかと告げられた。

 それは、20年前にガモフ、アルファー、ハーマンの3人が存在を予測したものの、検出されないままになっていた、ビッグバンの名残ともいえる原初の光に間違いなかった。

アルマ天文台の電波望遠鏡は、口径12m
のパラボラアンテナ54台と7mの12台が
連携して口径16kmに匹敵する性能を発揮

 この発見はニューヨーク・タイムズでも「信号は告げる、宇宙は”ビッグバン”で始まった」と報じられ、研究者の大部分も「最初、すべての物質とエネルギーは一点に集中していた」「その後、壮大なビッグバンが起こった」ことを、受け入れるようになった。


 残された謎は、ビッグバン直後の均一な状態から、どのようにして物質の凝集がはじまり、銀河とからっぽの宇宙空間に分離したのかを明らかにすることだった。

 科学者たちは、誕生したばかりの宇宙は、ほとんど均一ではあったが、ごくわずかに濃度のムラがあり、それが種になって銀河が形成されたと考えた。その痕跡がCMB放射に残っているなら、波長の「ゆらぎ」として検出されるはずだった。

 地上からの観測では「ほとんど均一」ではなく「完全に均一」にしか見えなかったが、検出器を人工衛星に搭載し地球を周回させながら7000万回に及ぶ測定を繰り返した結果、ようやく証拠であるゆらぎを確認することができた。

 探査チームは、ロケット打ち上げに招待することで、アルファーとハーマンに敬意を示した。この時、ガモフはすでに故人になっており、アルファーらも古稀(70歳)を迎えようとしていた。

 一方、ホイルはこの後も準定常宇宙モデルを新たに考案するなど、誇りをもってビッグバン・モデルへの批判を続けた。2001年に亡くなった後も、彼の遺志は筋金いりの後継者たちによって引き継がれている。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしました。


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2023年5月20日土曜日

中学校理科のどっちだっけ_12「化学反応式をひらがなで ①」

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 「水素(H2)と酸素(O2)から水(H2O)ができる」という化学変化を、「H2とO2からH2Oができる」と表すことができる。さらに、+と→を使って「H2+O2→H2O」と表すこともできる。ちょっと見ると、化学反応式のようだが、係数がないのでまだ完成していない。係数とは、化学式の前に書く大きな数字のことだ。


 完成形は「2H2+O2→2H2O」で、「2つの水素分子と1つの酸素分子から2つの水分子ができる」という意味になる。

 せっかく化学式を覚えたのに、係数のつけ方で迷う人が多いようだ。そこで、この化学変化をひらがなで表してみることにした。水素原子(H)を「つ」、酸素原子(O)は「み」で表すことにする。すると、水素分子(H2)は「つつ」、酸素分子(02)は「みみ」になる。

 教科書では「水素と酸素から水ができる」だが、ここでは「つつ(筒)とみみ(耳)から「つつみ(包み)」ができることにしよう。「ありえない」と感じるだろうが、材料からは想像できないまったく別の物質ができるのが化学変化だ。

○ 化学変化のルール

・ ひらがなの種類は変わらない

 たとえば、「つつ+みみ→つつみ」はOKでも、「つつ+みみ→つつじ」の変化はルール違反。材料の「み」が他の文字「じ」に変わってはいけない。

・ ひらがなの数もかわらない

 ただし、「つつ+みみ→つつみ」だと「み」が1つ減ってしまう。実はこれもルール違反なので、そうならないために係数を使う。

○ 係数のつけ方

 「つつ+みみ→つつみ」では、→の右側に「み」を増やす必要がある。「つつ+みみ→つつみみ」にすれば解決しそうだが、「つつみ」のできる化学変化なので、それ以外のことば(物質)を書いてはいけない。

 これが重要なポイントで、どうするかというと、「み」を増やすために「つつみ」全体を増やす。つまり、「つつ+みみ→つつみ、つつみ」とする。

 すると「み」は解決したのに、今度は左側の「つつ」が不足してしまう。そこで、もうひと組の「つつ」を加えて、「つつ、つつ+みみ→つつみ、つつみ」にすると、すべてのひらがな(原子)の種類と数を変えずに、この化学変化を表せたことになる。

 完成形を、係数を使って表すと「2つつ + みみ → 2つつみ」となる。

 ついでに、この「つつ」や「みみ」を、化学式風にすると、「2つ2+ み2 → 2つ2み」となるので「2H2+O2→2H2O」と見くらべてほしい。

① ② ③


2023年4月18日火曜日

天文学こと始めⅡ ー ①ハーシェルと銀河系の形 ー

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助手は妹のカロラインで
食事や鏡磨きを、ドレス
を汚しながら手伝った。

 1757年、ドイツ生まれのフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルは戦争を嫌ってイギリスに移住し、ウィリアム・ハーシェルと名乗った。音楽家として成功していたが、趣味で始めた天文学に熱中するようになり、プロの天文学者へと転身した。自宅の裏庭で手作りの望遠鏡をのぞいているときに天王星を発見し、これは、彼の業績の中でもっとも有名な出来事になった。その34年後には、やはり手作りの口径47.5cm、長さ6mの望遠鏡で、銀河系がパンケーキの形であることをつきとめた。

 星までの距離を測るために、もっとも明るい星シリウスまでの距離を「1シリオメートル」と名づけ基準にした。その方法は、距離が2倍だと明るさは4分の1になることを利用して、たとえば明るさが9分の1しかない場合、地球からの距離は基準の3倍、つまり3シリオメートルとした。星によって元々の明るさにバラツキのあることは承知していたが、簡単にするために「元々の明るさはどれも同じ」ということにして観測を進めた。

 こうして、数百個の星の明るさをくらべ距離を算出して、結果を立体地図にまとめると、円盤の中央が少しふくらんだパンケーキ(=ホットケーキ)のような形が現れた。円盤の直径は1000シリオメートル、中央のふくらみの厚さは100シリオメートルとなった。

 これによって、「天の川」と呼ばれる部分の正体がわかった。「天の川」とは、星空の中に見える、淡い河のようなひと筋の光の帯のことで、古代人からは「乳の道」(ミルキー・ウエイ)とも呼ばれていた。


 たくさんの星がねり込まれた巨大なパンケーキを想像してみよう。透明な粉でつくられていて、中を透かしてみることのできるパンケーキだ。その端近くにある地球から、パンケーキの横の方向をながめると、1000シリオメートル先にある反対側の縁までが見通せる。そのとき、近くから遠くの星までが重なりあって、光の帯のように見えるはずだ。しかし、上や下など別の方向を見ても、そのような星の重なりは見えない。これが、天の川の正体だった。

「宇宙創生」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。

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天文学こと始めⅡ ー ②ベッセルと銀河系の大きさ ー

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 ハーシェルは、1シリオメートルが何kmなのか知らないまま、この世を去った。それを明らかにしたのは、ドイツのフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセルだった。彼は、最新鋭の望遠鏡とそれを28年間操作し続けて得た観測技術を使って、白鳥座61番星の見える方角が6ヶ月間でどう変化するかを測定した。


 地球は、1億5千万km離れた太陽のまわりを12ヶ月で一周する。そのため、半年後には同じ星を太陽の反対側にあたる3億km離れた位置から観測することになる。彼は、半年間でその角度が0.001742度だけ変化していることを検出した。これは「年周視差」と呼ばれ、ギリシア時代から「地球が動いていることの重要な証拠」と言われてきたが、実際にそれを太陽系のはるか遠くにある星で確認できたのはベッセルが最初だった。

 この観測によって、白鳥座61番星までは100兆km (現在の測定技術では108兆km)であることがわかり、銀河系と呼ばれるパンケーキ型の宇宙の直径は1万光年、高さは1千光年であることも算出された。「光年」とは距離の単位で、光が1年間に進むことのできる長さ、約9兆5千億kmを表している。

 現在では、最新の観測技術によって、銀河系の直径は10万光年、厚さは1万光年に修正されているが、人類が宇宙の大きさを根拠のある数字で表すことができたのは、このときが初めてだった。


 多くの科学者は、パンケーキ型に星の集まったこの空間が宇宙のすべてだと考えたが、同じような星の集まりが他にもたくさんあると考える人たちもいた。その中の一人である、ドイツの哲学者イマニュエル・カントは「銀河系と同じような星の集団が他にもあり、大海原に島が点在するように宇宙にも星でできた島が点在している」と考え、それらを「島宇宙」と呼んだ。

 彼の主張は「神が全能なら、宇宙は永遠で無限に大きいはず」という神学的な理由に根ざしていたが、それだけでなく「古くから知られている『星雲』こそが島宇宙で、その多くが楕円形なのは、パンケーキのような円盤形を様々な方向から見ているからだ」という観測結果に基づいたものでもあった。

 こうして、我々の住む銀河系が唯一の宇宙なのか、それとも同じような銀河が無数にあるのか、という問題を解決するための糸口として、星雲が注目されるようになった。

「宇宙創生」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。

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天文学こと始めⅡ ー ③変光星とリーヴィットの法則 ー

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ロス卿がスケッチしたM51

 「星雲」は、ぼんやりしたシミのように見える奇妙な天体で、古くから存在を知られていたが、望遠鏡によって新たな星雲が次々に見つかるようになった。

 シャルル・メシエ(フランス)が、1764年から20年をかけて103個の星雲を一覧表にまとめあげると、さらに、ハーシェルは自慢の大型望遠鏡で2500個の星雲を見つけ、その正体を「星雲は若い星とそれを取り巻く塵でできている。それらは銀河系の内部にあり、やがて集まって惑星になる」と発表した。

ロス卿の巨大望遠鏡
 一方、アイルランドの資産家でロス卿と呼ばれたウィリアム・パーソンズは、1845年に完成させた口径1.8mの巨大望遠鏡で、無数の星が集まってできている星雲を確認して、それらは銀河系の外側にあり、巨大だがはるか遠くにあるために星が塵のように見えていると主張した。結局、この問題の解決には、星雲までの距離を測定して証拠とするより他なかった。

 1839年に発明された銀板写真(ダゲレオタイプ)と、それを利用した変光星の観測が、この問題に決着をつけた。変光星は周期的に明るさの変化する星で、「星は変化しない」という古代からの定説を否定する天体として注目されてきた。また、カメラは、そのシャッター速度を調節することで、望遠鏡の感度を飛躍的に高めることができる。たとえば、プレアデス星団にある星の数は肉眼だと7個、ガリレオ望遠鏡でも47個だが、写真では2326個を確認することができた。これによって、遠くにある変光星でも詳しく客観的に観測できるようになった。

セファイドは明るさが脈動する
 

天文台の女性職員ヘンリエッタ・リーヴィット(アメリカ)は、数多くの天体写真を見比べては変光星を探す作業をしていた。そのうち、同じ星雲の中にあるのだから地球からの距離もほぼ等しいのではないかと思いつき、小マゼラン星雲で発見した25個の変光星について、明るさとそれが変化する周期の関係を調べた。すると、明るい星は周期が長く、暗い星の周期は短いことがわかった。

セファイドは周期が長いほど明るい

 これらの変光星は、ケフェウス型変光星(セファイド)と呼ばれ、現在では自分の発する熱によって膨張と収縮をくり返す不安定な星であることが知られている。①温度が上がると膨張する→②膨張したことで圧力と温度が下がる→③圧力が下がると収縮が始まる→④収縮すると圧力と温度が上がる。この①~④を繰り返すことで明るさが脈動する。この、周期と明るさの関係はノーベル賞に匹敵する発見で、リーヴィットの法則と名づけられた。

 ハーシェルの、星までの距離を知るための取り組みは「どの星も、元の明るさは同じ」という、やや乱暴な仮定から始められたが、それぞれの星がもつ本来の明るさを、変光星の周期によって知ることができるようになった。これに、年周視差などのテクニックを組み合わせることで、人類は宇宙を測るための信頼できるものさしを手に入れた。

「宇宙創生」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。

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天文学こと始めⅡ ー ④ハッブル と宇宙の大きさ ー

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○星雲、銀河、銀河系

 「宇宙には我々の銀河系しかない」のか、それとも「銀河系のような星の集団が、宇宙にはたくさん存在するのか」という問題について、優勢だったのは「我々の銀河系しかない」説の方だった。

 「たくさん存在する」説の支持者たちは、星雲こそが遠くにある銀河だ、と主張していたが、その分布している場所の片寄りが問題だった。これまでに見つかっている星雲は、銀河系の上下方向に多く、水平方向に少なかった。「無数の銀河が無限の空間に存在しているのなら、どの方向からも同じだけ見つかるはずだ」という指摘に反論することができないでいた。

 リーヴィットらの努力によって、すでに距離のわかっている星雲もあったが、その小マゼラン星雲は非常に小さな星雲で、距離も我々の銀河系に接していると言えるほど近かったために、この問題の解決にはつながらなかった。

100インチ望遠鏡

 ウィルソン山天文台に着任したばかりのエドウィン・パウエル・ハッブル(アメリカ)は、「星雲は、銀河系の外にある別の銀河」と考えていたが、天文台の中では孤立無縁の状態だった。イギリスかぶれの気取った若造に見えるハッブルだったが、標高1,742mの凍える山頂の天文台で、集中力を持続させながら観測を続けることのできる、強靭(きょうじん)な意志と体力を持っていた。

 4年後の1923年、ハッブルは世界最強の100インチ望遠鏡をアンドロメダ星雲に向けていた。天候はドームを閉じなくてはいけない寸前の状態だったが、写真装置に振動を与えないように身震いをこらえながら40分間露光して1枚を撮影した。翌晩も、前夜より長めに露光してまた1枚を撮影。その2枚を資料室にある過去の撮影画像と見くらべているときに、新星らしき3つのシミのうちの1つがセファイドと呼ばれる変光星であることに気づいた。

 セファイドがあれば、距離を知ることができる。アンドロメダ星雲は、銀河系を遠く離れた90万光年のかなたにあることがわかった。宇宙には、無数の銀河が存在することを示す大発見だったが、彼はさらなる証拠が見つかるまで発表を控え、写真を撮り続けた。翌年に2つ目のセファイドを発見し、ようやく確信を持って発表した。

かみのけ座銀河団

 すると、数年のうちに、もっと遠くにある星雲も次々と明らかになり、以前は雲のように見える天体すべてを表すことばだった「星雲」は、我々の銀河系の中にあるガスと塵の集まりだけを指すようになった。また、カントが「島宇宙」と表現した、銀河系と同じようなはるか遠くにある星の集団はすべて「銀河」と呼ばれるようになった。

 また、銀河系の水平方向には星雲がほとんど見えない理由についても、現在では、光をさえぎる塵によって遠くの銀河が見えにくくなっていることが、塵の向こう側まで見通すことのできる望遠鏡の登場によって証明されている。

 銀河系の直径と同じ、と考えられていた宇宙の大きさを、果てしなく広げたハッブルの発見は「天文学者が生涯に一度、経験できるかどうかの幸運」と賞賛されたが、彼はこの後も天文学の世界をゆるがすような発見を重ねる。それは、天文学と物理学の融合による成果だった。

「宇宙創生」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。

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2023年3月25日土曜日

中学校理科のどっちだっけ_11「季節の天気」

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 春夏秋冬の文字には、それぞれの季節の特徴が隠されていることに気がついた。1文字ずつ説明していきたい。
冬
 「軒先に保存食をつるした家の姿」と言われるが、アジア大陸と日本列島のかたちを水色でなぞり、冬の特徴である「北西の季節風」を青い矢印で描くと、「冬」の字が現れる。
冬の代表的な天気図
 もう一つの特徴である「西高東低の気圧配置」も、天気図といっしょに聞かれることが多い。「晴れの日は高く、凍える日は低い」という気温のことと勘違いする人もいるので注意。

夏
「仮面をかぶって踊る人の姿」などと言われるが、冬と同じようにして、風の向きだけを逆にすると「南東の季節風」が吹く夏の日本列島のようすだと分かる。その上に、発達した積乱雲(入道雲)を描けば夏の字が完成する。

春
 ことわざに「春に三日の晴れなし」とあるように、天気の変わりやすいのが春の特徴。周期的に入れかわるので「週末になると雨が降る」と、感じることもある。ことわざの「三日」が文字の中に隠れている。人は「ヒト」ではなく長い河の姿を表しており、長江(揚子江)付近で発生する「移動性高気圧」が、変わりやすい天気の原因だ。イドウセイの「イ」と考えてもよい。また、この高気圧が西から東へ運ばれるのは、偏西風のはたらき。

秋
 禾には「オ」が隠れており、オホーツク海気団を示す。また、火は「ヒ」ではなく春の字にもあった
長い河、「移動性高気圧」を表す。夏がおわり秋がはじまるときに、この2つの気団が押し合って「秋雨(あきさめ)前線」ができる。
 そのため秋のはじめには、雨の続くことが多いが、「移動性高気圧」が乾燥した気団なので、両方が湿潤な梅雨前線のときより雨量は少ない。やがて、この前線が消滅して本格的な秋が始まる。
 「オ」ではなくて「禾」、「人」ではなくて「火」というように、余分な部品がくっついているのはなぜだろうか。ネットには、上の2つ以外にもさまざまな気団が秋雨前線には関係している、という解説もあった。そのせいかも知れない。

《 おまけ 》
水
小笠原気団とオホーツク海気団
 流れる水の形に見えるが、左右から2つの気団が押し寄せ、中央で押し合っているようすを示している。水と言えば梅雨であり、6月の停滞前線つまり「梅雨前線」を表す。だから、押し合いをしている2つの気団は、小笠原気団とオホーツク海気団で、「水」の字は、小笠原の「小」にもオホーツクの「オ」にも見える。これらは、どちらも海にできる気団なので水蒸気を多く含んでおり、大量の雨を降らせることが多い。

空
 文字の中に、カタカナのウとエが隠されている。空だから「ウエ」なのは当たり前という気もするが、ウ冠をもっと長くするとガスバーナーに似ている気もする。ガスバーナーの空気調節ネジが「ウエ」にあることを示しているに違いない。

風
 現在の漢字からは、風の向きや強さを知ることはできなくなくなっているが、成り立ちを考えると、天気図用記号が元になっているに違いないので、風向:北、風力:1、天気:晴れ だと分かる。


2023年3月16日木曜日

地震災害と人々① ー釜石の奇跡ー

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 東北地方太平洋沖地震の発生から12年が過ぎた。中学校の理科では、1年生が地震の学習をする。そのとき、生徒から避難訓練の効果を疑問視する意見が出されたので、当時のようすを伝え、考える手がかりにしてもらいたいと思った。ネットで得た情報を中心に、A4の理科通信3枚にまとめた。

①「釜石の奇跡」

 12年前の2011年3月11日の午後3時頃、大きな地震が発生しました。「東北地方太平洋沖地震」と呼ばれています。規模の大きな地震だったので、震源から遠く離れた名古屋や大阪でも建物に被害が出ました。

 揺れだけでなく津波も発生しました。震源から離れた九州に到着したのは、その日の夕方から夜にかけてででしたが、震源に近い岩手・宮城・福島の各県では、地震の直後に約10mの巨大津波が押し寄せました。

 片田教授は、「この地域は、何度も巨大津波に襲われているので、いざという時に備えておく必要がある」と考え、釜石市の防災教育を以前から指導していました。「衝撃的な映像を見て、現地とは連絡がとれず、実は絶望していました。多くの子どもたちが流されたというデマも聞いて、もう防災教育をする資格はないと思いつめました。」と、その時の気持ちを語っている。

- ところが、子供たちは逃げていた -

 現実を直視すべきだと思い直して、14日に現地入りしました。車を降りるなり、市役所の方から「子どもは避難してほぼ全員が無事です」と聞かされました」「正直、力が抜けて、その場で座り込みそうになりました」

 この時のようすを、今はネットで詳しく知ることができます。

- 釜石東中学校では -
 地震で校内放送の設備が壊れたが、生徒たちは、放送を聞かなくても自主的に「津波が来るぞ」と叫びながら避難所までの坂道を登った。そのようすを見て、日頃からいっしょに避難訓練をしていた小学生らも後に続いた。
 避難所の「ございしょの丘」に着いたが、そこのがけも崩れそうなのを見て、男子生徒がさらに高台へ逃げることを提案した。中学生らは、小学生の手を引いたり、途中で出会った幼稚園の幼児用ベビーカーを押したりして走った。
 その直後に、ございしょの丘は津波に飲み込まれたが、子ども達は間一髪、高台へ逃れることができて無事だった。

- 釜石小学校では -
 学期末の短縮校時で、ほとんどの子どもは帰宅するなどして校外にいたが、ここでも全員が津波から生き残ることができた。
 小学6年生の男の子は家の2階にいた。避難する大人たちを見て、弟が「逃げようよ」というのをなだめ、3階の屋上に上がった。
 授業で見た「深さ50cmの水でも流される」というVTRを思い出したからだった。道路には、すでに水が押し寄せており、大人たちでも歩くのに苦労していた。そのようすを見て、自分たちには無理だと判断したのだ。屋上でも水をかぶるほどの津波だったが、2人は助かった。

① ② ③


地震災害と人々② ー津波てんでんこー

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 東北地方太平洋沖地震から12年迎え、中学生に当時のようすを伝えようと考えた。ネットで得た情報を中心に、A4の理科通信3枚にまとめたうちの、今回はその2回目。

②  津波てんでんこ

片田教授が、釜石市の子どもたちに教えてきたのは、次の3つです。

1. 想定を信じるな

2. 最善をつくせ

3.率先避難者になれ       

それぞれどんな意味でしょうか。

- 想定を信じるな -

ハザードマップとは、自然災害の起きやすい、特に気をつけなくてはいけない地域を示した地図です。仮に、自分の家がその中に入っていなくても、油断をしてはいけません。特に津波の場合は、第一波の予想が4mでも、それに続いて第二波が押し寄せると、2つの波が重なり8mになります。さらに第三波が来れば高さ10mの防潮堤があっても防ぎきれません。

- 最善をつくせ -

 釜石東中学校に隣接する鵜住居(うのすまい)小学校では、はじめ校舎の屋上に避難していました。しかし、中学生が避難所への坂道を登っていくのを見て、自分たちも校舎を降り避難所へ行くことにしました。

 さらに、その避難所よりももっと上の、高台まで逃げたことでみんな命を失わずにすみました。

- 率先避難者になれ -

 「まっ先に逃げる」ということです。簡単そうで実際には難しいことのひとつです。「恥ずかしい」という気持ちや「家族や友だちを放って自分だけが逃げるなんて薄情だ」という気持ちが邪魔するのでしょうか。

 それは、「正常性バイアス」のせいだと言われています。パニック映画では、大災害が起きるとひとびとがわれ先に逃げ出しますが。実際にそうなることは少ないのだそうです。危険が迫っても「自分だけは助かる」「たいしたことはない」という気がすることを「正常性バイアス」といって、心の平静を保つための大切な脳のはたらきです。
 しかし、津波の危険があるときは、まず逃げることが最善の行動です。「早く逃げろ」と叫んで、まっ先に逃げる行動を示すことが、避難をためらっている人たちの、迷いを吹き飛ばす効果的な方法です。

- 津波てんでんこ -
 第③の教えにかかわることですが、北陸地方では「津波てんでんこ」ということばが、古くから伝えられてきました。
 逃げるときは人の心配をせず各自がてんでに逃げなさい、という意味のことわざです。親が子を探すうちに波にのまれて、共倒れになるのを防ぐための格言とも言われ、冷たい印象を受けます。
 しかし、そうではなくて「今は姿が見えないが、あの子はきっと逃げている。必ず再会できる」といった我が子の判断力・行動力への信頼。「仮に困っても、周りのおとなに助けてもらっている」といった地域の絆への信頼を示した戒めとして知られています。