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東北地方太平洋沖地震から12年迎え、中学生に当時のようすを伝えようと考えた。ネットで得た情報を中心に、A4の理科通信3枚にまとめたうちの、今回は3回目。
「阪神淡路大震災」
28年前ですが、近畿地方でも大きな地震がありました。阪神淡路大震災とよばれ、新設された震度7の基準が初めて適用された地震です。
倒壊した高速道路の映像も衝撃的でしたし、2階の窓からピアノが外にとび出た、という話を聞いて信じられませんでした。
地面が、物の落ちる速度より速く下がるので、どんな重い物でも瞬間的に無重力状態になって浮き上がるのだそうです。
地震に関する補充資料のおわりに、印象に残ったお話をあと3つ紹介します。
― 高校生ボランティア ―
被害の大きさとは別に、当時の日本人を驚かせたことがあります。それは、大勢の高校生がボランティアとして、かけつけたことです。愛知県からも600人以上が参加し,松本知美さんもその中の一人でした。
「私は,子ども達を公園で遊ばせる係でした。しかし,遊ばせているうちに,『こんなことをして何の役に立つのか』と思うことがありました。『親も家もなくしたこの子たちは,これから大変な人生を送ることになるだろう。結局は自分でじぶんを救うしかないんだ』そう思うと、無力さを感じて落ち込んでしまいました。」
ここまでは誰でも思うことです。けれども,彼女は夜テントの中で,また考えました。「しかし,ひょっとしたら『あのとき,見ず知らずのお姉さんがやってきて自分と遊んでくれた』という体験が子どもの達の心に残り,自分で立ち上がっていく時の、励ます力になれるかも知れない。そう思うとまたがんばれました。」
この高校生の想いに応えるかのように,避難所の体育館で毛布にくるまっているお年寄りがポツリと言っています。「何もかも失いました。でも,人の心を得ることができました。」
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