2023年8月9日水曜日

天文学こと始めⅢ ー④ガモフとビッグバン理論ー

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○ 原子の誕生と宇宙背景放射
 ウクライナ出身の物理学者ジョージ・ガモフは、共産主義のイデオロギーによって研究が左右されるのを嫌い、亡命を図った。1回目は、妻とカヤックで黒海を渡ろうとして失敗した。そこで2回目は、物理学者の国際会議を利用してそのまま帰国せず、2人でアメリカに渡った。
 ジョージ・ワシントン大学の教授になると、学生だったラルフ・アルファらと共に、宇宙で最初の原子が誕生した過程を明らかにしようとした。

 水素原子からヘリウム原子のできる核融合反応が、太陽の内部で起きていることがすでに知られており、ガモフらも宇宙で最初にできた原子は軽くて構造が簡単な水素で、それが互いに融合して重い元素に変わったと考えた。
 しかし、太陽内部の反応では水素とヘリウムの割合が、現在の宇宙と同じになるまでに270億年もかかることが分かり、ヘリウムをもっと速く生成させるために、ビッグバンによる核融合反応も合わせて計算することにした。
 数学がにがてなガモフに代わって、アルファが膨大なこみいった計算に取り組んだ。その結果、ビッグバンの環境だと300秒あれば、水素とヘリウムの比率が現在の宇宙と同じになることが分かった。
 1948年に発表されたこの論文はアルファ・ベータ・ガンマ論文と呼ばれ、新聞にも「世界は5分で始まった」と大々的に取り上げられた。「ベータ」はガモフの友人で有名な原子物理学者ハンス・ベーテで、この研究には無関係だったが、著者名にアルファ、ベーテ、ガモフと並んだ方がアルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)を連想させて面白いという、ガモフのイタズラ心から共著者に加えられた。
 ヘリウムより重い原子の生成についても、解明をこころみたが、最初の300秒を過ぎると温度が下がるので核融合は起きそうになかった。重い元素の合成が袋小路に入ったまま、彼らは別の側面からビッグバンの検討をしていくことにした。

 アルファは、新たに加わった同僚のロバート・ハーマンと共に、初期宇宙のようすを次のようにまとめた。
①ごく初期の宇宙は、莫大な量のエネルギーに満ちていた。このときはまだ、物質の進化は起きなかった。
②その直後の数分間が、アルファ・ベータ・ガンマ論文で扱った時代で、適度な高温・高圧の環境になり水素やヘリウムなどの軽い原子核が作られた。
③軽い原子核が生成されると宇宙の温度が100万度にまで下がり、核融合は起きなくなったがすべての物質はまだプラズマの状態だった。プラズマとは電子が原子核を離れてとびまわっている状態で、そのとき存在していた光は霧に包まれたようになって空間を進むことはできなかった。
④30万年が過ぎると、宇宙の温度が3千度にまで下がり、電子と原子核が結合した。つまり、プラズマ状態から安定した原子の状態にかわった。
⑤とびまわっていた電子が空間からいなくなり、電子の霧が晴れたので、光が宇宙空間を進めるようになった。
 ここで2人は、⑤の光は、今も宇宙を突き進んでいるはずだと気づいた。そして、現在では赤方偏移によって波長が1mmに伸び、マイクロ波になっているだろうと予測した。

 ガモフ、アルファー、ハーマンの3人は、ビッグバンが実際に起きたことの証明として、マイクロ波を探してくれる研究者を探した。それは、宇宙のあらゆる方角から検出されるはずだった。しかし、技術的な難しさに加えてビッグバン説に対しても懐疑的な研究者が多く協力は得られなかった。あちこちを訪ねては説得を試みたが、5年後、3人はついにあきらめて別の研究分野へと移った。これには、ガモフの冗談好きが災いしたかも知れない。彼はハーマンにデルタ(Δ)と改名するように迫っていたそうだ。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。

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