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○ 宇宙背景放射とゆらぎ(電波望遠鏡)
大学を卒業したばかりのカール・ジャンスキーは、ベル研究所で無線電話の雑音対策を担当していた。毎日発生する正体不明の妨害電波に悩まされていたが、きっかり23時間56分おきにやってくることを話すと、天文学にくわしい先輩から、太陽系より外にある天体が原因ではないかと教えられた。
この「銀河電波」の検出が、電波天文学の幕開けとなり、定常宇宙モデルとビッグバン・モデルの争いに決着をつけることになった。
マーティン・ライルは、比較的新しい銀河だけが電波を発信することを知り、5000個の電波銀河がどのように分布しているかを調べた。すると、どれも地球から遠く離れた銀河であることがわかった。
定常宇宙モデルが正しければ、古い銀河の間に新しい銀河が生まれるので、電波銀河(新しい銀河)は近くから遠くまで均等に散らばっているはずだった。一方、ビッグバン・モデルでの銀河は、一斉に誕生しどれもほぼ同じ年齢のはずだが、光の速度に限界があるので、距離によって見え方が異なる。遠くの銀河からは、光が届くまでに時間がかかり、地球からは昔の新しいときの銀河の姿しか見えない。という訳で、ライルの結果はビッグバン・モデルの正しいことを示していた。
その後、さらに説得力のある証拠が確認された。ベル研究所で電波望遠鏡の雑音を取り除くことに精力を注いでいたアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンは、どの方向に向けても必ず入ってくる雑音のあることに気づいた。それは、一日中、あらゆる方向からやってくる波長1mmの雑音電波だった。
手を焼いた2人は、四六時中このことを議論し、天文学の専門家会議の時にも軽い気持ちでこの話をした。すると、2ヶ月後にバーナード・バークから電話があり、その雑音電波こそビッグバンの証拠となる「宇宙マイクロ波背景放射(CMB放射)」ではないかと告げられた。
それは、20年前にガモフ、アルファー、ハーマンの3人が存在を予測したものの、検出されないままになっていた、ビッグバンの名残ともいえる原初の光に間違いなかった。
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アルマ天文台の電波望遠鏡は、口径12m のパラボラアンテナ54台と7mの12台が 連携して口径16kmに匹敵する性能を発揮 |
この発見はニューヨーク・タイムズでも「信号は告げる、宇宙は”ビッグバン”で始まった」と報じられ、研究者の大部分も「最初、すべての物質とエネルギーは一点に集中していた」「その後、壮大なビッグバンが起こった」ことを、受け入れるようになった。
残された謎は、ビッグバン直後の均一な状態から、どのようにして物質の凝集がはじまり、銀河とからっぽの宇宙空間に分離したのかを明らかにすることだった。
科学者たちは、誕生したばかりの宇宙は、ほとんど均一ではあったが、ごくわずかに濃度のムラがあり、それが種になって銀河が形成されたと考えた。その痕跡がCMB放射に残っているなら、波長の「ゆらぎ」として検出されるはずだった。
地上からの観測では「ほとんど均一」ではなく「完全に均一」にしか見えなかったが、検出器を人工衛星に搭載し地球を周回させながら7000万回に及ぶ測定を繰り返した結果、ようやく証拠であるゆらぎを確認することができた。
探査チームは、ロケット打ち上げに招待することで、アルファーとハーマンに敬意を示した。この時、ガモフはすでに故人になっており、アルファーらも古稀(70歳)を迎えようとしていた。
一方、ホイルはこの後も準定常宇宙モデルを新たに考案するなど、誇りをもってビッグバン・モデルへの批判を続けた。2001年に亡くなった後も、彼の遺志は筋金いりの後継者たちによって引き継がれている。
「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしました。
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