2017年11月20日月曜日

⑧ ギリシア(1) オリーブの賜物


 古代ギリシアは、都市国家として前2500年頃に誕生した。前650年頃になると、オリーブを栽培するようになった。栄養価が高く長期保存が可能で、油は調理に使われ照明にもなる
 ギリシアの人々は、これを周辺の国々と交易することで、生活に必要なものを手にいれた。エジプトでは穀物、スペイン・イタリアでは鉱石やレバノンの杉等と交換した。物々交換だけでなく、硬貨やローンによる取り引きも行われていた。
 オリーブは有用なだけでなく、手間のかからない作物だった。岩だらけの乾燥した土地でも育ち、放っておいても毎年実がなる。そのおかげでギリシアの人々は自由な時間をたくさん手にすることができた。また、交易で他の文化・文明に接する機会の多かったことが、独特な社会制度や学問の発展につながった。

《ミレトス》
 海路・陸路とも四方八方に通じ、諸国の人や文物の交わる交差点として栄えたが、同時にこの道は、宗教や魔術から独立した「学問」の世界にも通じていた。
 タレスは商人として航海を重ねた学者。エジプトで影の長さからピラミッドの高さを測る方法を学び、バビロニアで天文学を学んだ。前585年に日食を予言して、人々を驚かせた。

《アテナイ》
 ソロンが貴族だけでなく、一般市民も政治に参加する制度改革を行い、最初の民主的な政府を築いた。
 ソクラテスは冤罪によって死刑を宣告された。逃げる機会は幾度もあったが「民主的な陪審裁判によって有罪とされた以上、死ぬことは自分の義務である」と言って、判決にしたがった。
 プラトンはソクラテスの弟子。民主主義の生み出す「自由」を敵視し、人間にも品種改良が必要だ、とも主張した。
 ディオゲネスは哲学者。皆既日食を予言したタレスのような「科学的知識の探求は無意味で、人間は犬の生き方に学ぶべきだ」と主張し、神殿の階段下の樽の中に住み、物乞いをして暮らした。世界ではじめて「世界市民」を名乗りストア派の祖となった。

《スパルタ》
 リュクルゴスは人間の品種改良を目指した。男子は7歳で軍の訓練所に入り、ムチ打ちの儀式で迎えられる。そこでは、不十分な食事しか与えられず盗みを奨励する。つかまると罰を受けるが、「盗み」の罪でなく「無様に捕まった」ことがその理由。大人になってからも、戦場で武勲をあげれば20人の女性を与えられ、失敗すると勘当され死刑を宣告された。
 女性も美しく知的であることが求められ、男と同じに裸のまま暮らし、運動競技大会に備えて訓練を受けさせられたが、どのポリスの女性よりも高い地位が与えられていた。

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