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前540年頃のペルシア帝国 |
キュロス二世 紀元前600年頃 - 紀元前529年 |
キュロス王の後継者となったダレイオスの時代には、帝国を20の行政区に分け、それぞれに総督を派遣して支配した。住民5千万人のうちペルシア人以外の者は、各地域の特産物を年貢として納めなければならなかった。記録に「第4区のキリキア地方からは360頭の白馬と銀360タラントン」とあるように、帝国全体からは莫大な量の貢納物が王の元に届けられた。
ペルシア帝国の最大領域 |
「王の道」と呼ばれる幹線道路と宿駅が整備され、広大な帝国全土への情報伝達が可能になっていた。また、総督の不正を監視して地方の反乱を予防するための「王の目」や、密偵「王の耳」が帝国各地に配置され、地域を越えた商業交易を可能にするための、貨幣の流通や度量衡の統一、共通言語の採用など、後の世界帝国のモデルとなる統治がなされた。
寛容な世界帝国ペルシアには200年にわたって平穏な状態が続いたが、マケドニア・ギリシア連合軍4万の侵攻を受け、前330年にアケメネス朝は滅亡した。そして、野望に燃えるアレクサンドロスが後継者となった。
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