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「エイラ―地上の旅人」(ジーン・アウル作)は、クロマニヨン人の女性が主人公の物語。その第一巻「ケーブ・ベアの一族」(大久保寛 訳、集英社)には、5歳で家族を失った少女エイラがネアンデルタール人の一族に拾われ、さまざまな葛藤を経ながら成長し、やがて洞窟を離れるまでが描かれている。なお、本書には未成年の読者を対象に訳された「大地の子エイラ―始原への旅だち 」(中村 妙子 訳、評論社)もある。
○ 大地震
紀元前3万5千年頃、黒海のほとりにエイラという5才の女の子がいた。エイラはクロマニヨン人と呼ばれる大昔の人類だが、現代人と変わらない姿をしていた。歩くよりも先に泳ぎを覚え、その日も一人で川遊びをしていた。ところが、突然起きた大地震によって、皮張りの小屋もろとも家族全員が地面の裂け目にのみ込まれてしまった。
大草原にひとり残されたエイラは、空腹になっても水を飲むしかなかった。衰弱したところをケーブ・ライオンに襲われ太ももに爪をたてられたが、間一髪、岩のすき間に逃げ込むことができた。怖くて、動けずにいる間に、爪で裂かれた傷が化膿し高熱を発した。水を飲みたくなって、岩陰からはい出したが、そのまま意識を失ってしまった。
○ ネアンデルタール人
大草原を移動するネアンデルタール人の一団があった。現代人よりもがっちりした体格で、平均身長は140cmくらい。口と目の上が突き出ているかわりに、額には現代人のような丸い盛り上がりがなかった。彼らも大地震で住みかを失い、新しい洞窟を探しているのだ。
鳥が群がっていたので、倒れているエイラに気づいたが、族長のブルンに助ける気はなかった。よそ者を加えると、一族の守護霊が機嫌(きげん)を損ねてしまうかも知れない。大地が揺れて仲間が死んだのは、何かの理由で守護霊を怒らせてしまったからだ。早く霊の住みかにふさわしい洞窟を見つけなければ、守護霊が去ってしまう。と、考えていた。
しかし、妹のイーザは苦しんでいる者を見過ごしにできない性質だった。この気質は、薬草や治療法の知識と同じくらいに重要で、薬師(くすし)の家系に代々受け継がれてきた。そして、ふたりの兄でまじない師のクレブも、「霊たちは怒らない。通り道にあの子を置いたのは、我々に助けさせたいからだ」とブルンを説得した。
「ケーブ・ライオンに襲われて生き残った者を見たことがない。この子の守護霊はとても強い」という二人の意見を入れ、ブルンは助けることを黙認した。
○ イーザとクレブ
この日も、新しい住まいが見つからないまま日が沈み、野営することになった。イーザは女たちと食事の用意をしながら、治療薬の調合にとりかかった。殺菌、強心、利尿、鎮静など様々な薬効を複雑に組み合わせた貼り薬や苦い飲み薬とともに、餓死寸前のエイザには滋養のある煮汁も与えられた。
イーザは20歳の壮年だが、10代の前半から、経験を積んだ老人と変わらない治療を施すことができていた。それは、人間の中でも最大の脳を持つ種族、ネアンデルタール人にはケタはずれの記憶力があり、自分の体験だけでなく、先祖の見聞きした知識や経験も思い出すことができるからだった。
食事が終わると男たちは毎夜、儀式を行う。取り仕切るのは、まじない師のクレブだ。ネアンデルタール人の中でも、彼は抜きん出て巨大な頭をしていた。そのため、大変な難産の末に、不格好な頭と障害のある手足を持って生まれた。しかも、幼少期にケーブ・ベアによって半身に引き裂き傷を受けたせいで、顔も体も左右が非対称になった。その怪異な姿に恐れを抱く者は、子どもだけではなかった。また、狩りのできない男は一人前と見なさないのが一族の風習だった。が、彼は知力と霊的な訓練で得た特異な能力によって、まじない師としてだけでなく聖人としても尊敬を集めていた。
彼は、はるか昔まで祖先の記憶をたどることができ、それを周りの者と共有することができた。儀式が始まると、一族の男たちは自分が水生の生物になっているのを感じた。それが陸に上がり、やがて初期のほ乳動物から自分たちの直接の先祖へと進化する過程を自分自身のこととして体験した。これを毎夜重ねることで、彼らは地球のあらゆる生き物と自分の関係を知り、崇敬の念を抱くとともに、熊や猪など守護霊であるトーテムとの結びつきを強めていた。
○ 大洞窟
朝、目覚めたエイラはイーザのしわがら声と姿に驚き、悲鳴を上げた。しかし、湿布を替え食事を与えてくれる動作に人間らしさと思いやりを感じ、すぐに安心した。一方、イーザもエイラ の青い目に驚きながら、この子が背丈や見かけよりも実際はずっと幼いことに気づいた。
クレブが近づいたとき、エイラは彼の姿をそれほど異様には感じなかった。彼女にとって、イーザとクレブの姿に大きな差はなかった。それで、顔の傷跡に興味をひかれて手を伸ばしなでると、クレブは思わず動揺した。恐れ避けられることに慣れたクレブには、味わったことのない感動だった。
ネアンデルタール人には前頭葉がほとんどない。また、発声器官も未発達でうまくしゃべれない。エイラを呼ぶのに、イーザは「アイ・ヤ」としか言えなかった。クレブも苦労して「エイ・ラ」と言うのがやっとだった。それでもエイラは喜んで、やすやすと彼らの名前を呼び、通じないのを承知でペチャクチャと話しかけた。
彼らの会話は、声をあまり使わない。単語を一つ言うくらいで、あとは表情やしぐさで行なう。感情の微妙なニュアンスまで伝わるので、嘘はすぐに見破られる。そもそも、嘘の概念さえなかった。
この日も、洞窟が見つからないまま暮れようとしていた。このまま野営するのは、森が近すぎて危険だった。男たちが、引き返す相談をしているとき、歩けるようになったエイラはうれしくて、ひとりで峠の向こうに行こうとしていた。あわててイーザが後を追うと、エイラの向かっている先に大きな洞窟が口を開けているのが見えた。
大聖堂と同じくらいに広い空間をもち、奥には儀式に使えそうな小部屋も備えている、申し分のない洞窟だった。しかし、物理的な条件だけでなく、霊たちの同意も必要だ。それは狩りによって量られる。捧げ物をうまく仕留めることができれば、霊も喜んでいる証になるのだ。
バイソンの群れの中から、ブルンは一頭に狙いを定め合図を送った。数人が追いたてを始め、交代しながら、追い詰めていくと、荒々しかったバイソンもついに息切れをして動けなくなった。とどめを刺すのは、今回の主役ブラウドだ。初めて狩りに参加したが、将来は族長の後を継ぐはずの若者だ。焼いて先を固くした重いやりをわき腹に突き立てられ、巨大な獣は力尽きた。狩りは成功し、若者も大人の仲間入りを果たした。ブルンは久しぶりに、心が寛ぐのを感じた。
○ ケーブ・ライオン
バイソンの肉が焼け、支度が整うと、守護霊を迎えるための儀式が始まる。同時に、ブラウドの成人式と新生児やエイラのトーテムを決める儀式も行われる。前半は狩りとプラウドの話題で持ちきりだった。成人の儀式では、まじない師のナイフでトーテムの印を胸に刻まれ、誇らしげに胸をはった。
2人の赤ん坊のトーテムには、イノシシとフクロウが選ばれた。一同が驚いたのは、エイラの守護霊としてまじない師がケーブ・ライオンと告げたときだ。族長のブルンは驚きを通り越して怒りを感じた。ケーブ・ライオンはトーテムの中でも最強で、男にしか与えられないのがしきたりだった。伝統の破壊は一族の秩序を乱す。しかし、まじない師の決然とした態度から、この決定に揺るぎのない自信をもっていることを悟った。事実、クレブ自身も、お告げを疑い霊に何度も問い直した末に得た結論だったのだ。
イーザはエイラの子宝を心配した。強すぎるトーテムは妊娠の妨げになる。子を宿すことができるのは、女のトーテムが男のトーテムに負けたときだけだからだ。皆がエイラに注目するなか、ブラウドは主役の座を奪われた気がして、嫉妬心から憎しみのこもった目でエイラをにらみつけていた。
クレブの熱心な指導によって、エイラは一族の者どうしで交わされる身振り手ぶりが、言語であることに気づいた。覚えたくて、会話のようすをじっと見ていると、クレブから厳しく叱責されてしまった。おもわず涙を流したときの、クレブの慌てようは大変だった。ネアンデルタール人は涙を流さない。病気になるほどエイラの心を傷つけたと思ったのだ。
洞窟の一つ空間の中で、寝起きを共にしている一族には、特有の礼儀作法としきたりがあった。男は一人前になると、自分の炉ばたを持つことができる。女は狩りを禁じられており、男に服従することで養ってもらえる。しかし、どの男の炉ばたに入るかは族長の決定に従わなくてはならない。誰であれ、「じっと見つめる」ことや他人の炉ばたに関心を寄せることは、礼儀知らずで恥ずべきこととされていた。
エイラは会話だけでなく、食料や薬草の知識を身につけ、衣類や小物の作製にも高い学習能力を示した。それに加えて、礼儀正しくふるまい一族に溶け込む努力もしていた。しかし、発達した前頭葉を持つ彼女は、新しいことに挑戦する種族の人間だった。伝統を守るだけの種族にはない伸びやかさがあった。歩き姿など、些細な部分に表れる違いが、成人の儀式のことを根に持っているブラウドには、目障りでしかたなかった。
○ ブラウドとの確執
狩人はヤリを使う。年をとり、それが重く感じられるようになると、投石器を使い始める。皮のベルトを振り回した勢いで、中にはさんだ小石を飛ばし小動物を倒す。しかし、ネアンデルタール人の腕は、力が強いかわりに可動域が狭く、投げる動作には向いてなかった。ヤリも投げるのでなく、構えて突くための武器として使われた。一方、女は、狩りだけでなく武器にさわってもいけなかった。
ある日、エイラは男たちが投石器の練習をするようすを物陰から見て、自分の方が上手にできそうな気がした。そして、隠れて練習を重ねるうちに、男を凌ぐ腕前になった。その密かな自負心がちょっとした仕草に現れるらしい。ブラウドに難癖をつけられ、徹底的に殴り倒されてしまう。
族長からやり過ぎを咎められ、ブラウドが手出しできないのを知ったエイラは、知らずしらずのうちに、挑発的にふるまいうようになった。無作法が、誰の目にも余るようになった頃、ブラウドから再び殴られたが、今度は誰もエイラに味方する者はなかった。グレブからも叱られたことにより「いい子になろう」と態度を改め、投石器も一旦は投げ捨てるが、ブラウドの仕打ちは以前にも増して酷いものになった。
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