2020年5月15日金曜日

地球と生命の歴史 11「ネアンデルタール人」(その2)

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 前回につづき、クロマニョン人の女性を主人公にした小説「エイラ―地上の旅人」を紹介する。5歳で家族を失った少女エイラが、ネアンデルタール人の一族に拾われ、さまざまな葛藤を経ながら成長する物語の後編


○ 狩りをする女

 忍従の毎日に、心がくじけそうになるエイラ だったが、ブラウドよりも自分の方が投石器の腕前で優れていることが心の支えだった。そして、晩秋のある日、ブラウドのいじめはトーテムが自分に与えた試練だ、と思い至った。長い冬の間、閉ざされた洞窟の中でブラウドの仕打ちに耐えることができれば、女の自分でも狩りが許されるに違いないと信じ、春の到来を待つことにした。

 ブラウドはエイラへのゆがんだ復讐心から、ささいなことでいいがかりをつけた。おびえさせ、屈服させることが目的だったが、それを試練と考えているエイラの心が乱されることはなかった。エイラは冬の間、狩人たちの近くにそれとなく座っては、横目で会話をのぞき、動物の習性や追跡の仕方を学んだ。春になると、こっそりと野に出ては実戦を重ね、再び冬を迎える頃には、ハイエナやオオヤマネコなどの肉食獣に対しても、恐怖を感じることがなくなっていた。


 エイラが9歳の春、一族は総出でチョウザメ漁に出かけた。大人たちが漁に熱中している隙に、幼児の一人が海に落ちた。潮流によって沖に運ばれるところを救助できたのは、エイラの大手柄だった。一族の中で泳げるのはエイラだけだったのだ。

 秋になると、マンモス狩りの遠征隊が南に出発した。これには女も同行する。巨大な獲物をその場で解体し、持ち帰るのが仕事だ。守備よく仕留めたマンモスを乾燥肉にしていると、大きなブチハイエナが子どもを襲った。あわやのところでハイエナを倒したのは連続して放たれた2つの石つぶてだった。そのような技を持った狩人は、今はもちろん過去にも存在しなかった。思わず投石器を使ったエイラの姿を、一族の者たちは茫然として見つめていた。


 マンモス狩りは大成功だった。ハイエナに噛み砕かれた子どもの肩もエイラの処置が適切で、大きな後遺症は残らないはずだった。しかし、帰還する狩猟隊の足取りは重かった。洞窟に帰ればエイラに処罰を与えなくてはならない。女が武器を使うことへの報いは死刑だ。例外はなかった。

 洞窟に戻ったブルンは狩人たちを召集した。会議では、エイラを擁護する意見も出された。彼女の技が一族にとって、失うには惜しい水準にあること、その技によって一族の者の命が救われたこと、あるいは、彼女のトーテムであるケーブ・ライオンは雌が狩りをすること、などがその理由だった。グレブもはるかな昔には、女も狩りをした時代のあることを伝えた。しかし、その一方で、掟に従った死刑の執行を望む者も同じ数だけおり、その筆頭はもちろんブラウドだった。全員が、掟によって明確に規定され、これまで安住してきた世界の枠組みを押し広げることへの抵抗を感じていた。


○ 死の呪い

 翌朝、ブルンは全員の前で、族長としての決定を伝えた。エイラは死刑。ただし、彼らの死刑とは「死の呪い」を施すことだった。彼らに、生と死のはっきりとした境界はない。外見に変わりがなくても、生命(霊)が抜け出れば死んでしまう。仮に、残された肉体に、体温が残っていようが、動いていようが関係ない。生命の本質はすでに抜けて、ここには残っていないのだ。

 まじない師は、族長の決定に従って呪いを施さなくてはいけない。死の期間は、罪の重さに応じて定められる。エイラの場合は1ヶ月だった。2・3日であれば生還できることもあるが、1ヶ月だとその可能性はゼロに等しい。わずかではあっても生還の可能性を残した「期限つきの呪い」が、掟とエイラの功績を秤にかけて、ブルンの導き出した答えだった。


 呪いをかけられた肉体が、霊の抜けたことに気づかなかったり、悪霊が死者になりすますことがある。それを、見たり声を聞いたりした者には災いが起きる。呪いの儀式のあと、一族の者はみな目が虚になり、自分が見えていないようだった。呼びかけても返事をしてもらえず、エイラは本当に自分が死んでしまったのだと思った。

 死の呪いを受けると、多くの者はそのまま飲み食いを止め、本当の死を迎える。エイラも数日は悲嘆と恐怖から食べも飲みもしなかった。しかし、不屈とも言える生存本能が彼女を生かした。乾いたのどを潤すために歩き、冬を越すための準備を始めた。

 やがて、空が雪雲に覆われ、月の見えない夜が続くようになったが、暗くなるごとに棒に印を刻み、過ぎた日数を知った。これは、以前にクレブを驚かせたエイラにしかできない能力で、量を数で表す方法を理解し使うことができた。一族のほとんどの者は3つ以上のものを数えられないし、数える必要がなかった。全員の顔と名前を記憶しており、忘れることがないので、仮に一人がいなくても「人数が足りない」ではなくて「○○がいない」というかたちで、すぐに事態を把握できた。それが、20人だろうが100人だろうが優れた記憶力を持つ彼らにとっては同じことだった。年齢など、数える必要のある事柄もあったが、それはクレブに一任されていた。そのクレブ自身も、20までをようやく数えられる程度だった。月の満ち欠けがひと回りして、死の呪いが解けたとき、周りはすでに雪解け水の流れ始める季節になっていた。

 エイラの姿を見て、クレブは目を疑った。話に聞いたことはあっても、死の世界から戻ってきた人間をみるのは初めてだった。呪いを解く必要に気づき、奥の祈祷室に入ると、すでに骨組みの配置がくずれ呪いは解かれていた。住みついたネズミのしわざだったのかも知れない。が、クレブとブルンはそこに霊の意思を感じた。事実、一族がエイラを助けてからは、洞窟が見つかり、子どもの命が救われ、狩りもうまく行くなど、幸運続きだった。

 女も狩りをしていた頃の、太古の霊を呼び出し守護を願う儀式が開かれた。成人式でブラウドが胸に刻まれたように、エイラにもケーブ・ライオンの爪痕が残る太ももに、狩人の印が刻まれた。女でありながら狩りをすることが許されたのだ。皆は、この処置に納得したが、ブラウドだけは怒り狂っていた。


○ ダルク誕生

 エイラは10歳で初潮を迎えた。それは、大人になった女のトーテムがほかの霊と戦って勝利した証だ。強いトーテムは勝ち続け、戦い続ける。トーテムを屈服させるほどに強い霊と出会わない限り、子を授かることはできないのだ。イーザは母親として、年頃の娘が知るべき様々なことを教えた。ある日、エイラが自分の容貌が風変わりなことに気づき「つれあいなんか、持てっこない」とすすり泣いたときは、この洞窟以外にもたくさんの一族がおり、氏族会では様々な男に出会えることを教え、慰めた。 また、族長の交代が数年のうちに迫っていることから、ブラウドが族長を継ぐときには、この洞窟を離れることを勧めた。

 ブラウドは、エイラを困惑させるには、何がいいか考えていた。一人でいるエイラを見つけたとき、思いつきで性行為を要求してみた。一族の中で、女は男のどんな要求にも従わなくてはいけない。困っているエイラを見てブラウドは「いい方法を見つけた」と有頂天になった。さらに、エイラが拒むと殴る口実のできたことを喜び、ついには目的を果たした。

 ブラウドの要求は、一度では終わらなかった。エイラは、しだいに打ちしおれ生気を失っていった。そして、イーザが最初にエイラの妊娠に気づいた。堕胎のための薬草をつかうように勧めたが、エイラはそれを拒んだ。子どもを持つことはずっと前にあきらめていたのだ。身ごもったことで、エイラの目に輝きがもどった。

 エイラの妊娠には、一族の者も全員が驚いた。当時、妊娠や誕生は霊たちのはたらきと考えられており、生物学的な男の役割は知られていなかった。それで、最強のケーブ・ライオンを倒したのは、どの男のトーテムかという話で持ちきりとなった。誰もがその栄誉を得たいと思ったが、2つ以上の霊が結束した結果だという考えに落ち着いた。

 後にダルクと名づけられた赤ん坊は、非常な難産の末に生まれた。これまでの赤ん坊とは様々な点で異なっていたが、一番の問題は大きすぎる頭とそれを支えるには細過ぎてぐらぐらしている首だった。族長が自力で生きていける見込みがないと判断すれば、捨てられてしまうのが掟だった。エイラは赤ん坊を連れて洞窟を離れ、身を隠した。数日を隠れて過ごす間に、一族を離れて2人が生き延びることは不可能と気づき、ブルンの温情にすがることで、赤ん坊だけでも助けてもらおうと考えた。

 再び、死に等しい処罰を覚悟したエイラ だったが、ブルンの判断は違った。以前、溺れたところをエイラに救われた子どもの家族や、自身も運良く生き延びた経験を持つグレブの懸命な取りなし、それと族長が面目を失う前に戻ったエイラの判断が功を奏した。処罰は軽いものですみ、ダルクと名づけられた赤ん坊は、一族に迎えられた。


○ 氏族会

 ダルクが自分の首の力で頭を支えられるようになった頃、氏族会へ出発する日が迫った。30歳を迎えたイーザは、以前よりやせ、ほとんどが白髪になっていた。3名の老人とともに留守を守ることにして、薬師の代役をエイラにつとめさせることにした。また、イーザより年長のクレブも今度の旅が、氏族会に参加する最後になるだろうと考えていた。

 様々な地域から、はるばる氏族会に集まってくるのは、どれもケーブ・ベアを崇めている精神的に同じ源流を持つ一族たちである。クレブはそのまじない師の中でも筆頭の大呪術師だった。イーザもこの会で使う薬の調合を長年任されてきたのだが、代役のエイラには好奇の目が注がれ、よそ者を同行させたとして、ブルンを非難する者もあった。

 それでも、しだいにエイラのきちんとした仕事ぶりが認められ、ブルンへの評価も高まった。中でも、暴れる大グマを恐れずけが人を救い出したエイラの使命感と勇気には、多くの者が敬意さえ抱いた。

 いよいよ、祭りも最終日を迎え、エイラの調合した薬を使って儀式が行われた。その終盤、エイラはまじない師たちだけの部屋に迷い込み、秘密の儀式を目撃してしまう。女、しかも一族でない者に見られると、その一族は滅びの道をたどると言われていた。クレブが2つの種族の行く末を霊視すると、言い伝え通り、自分たちが滅びる運命にあることが示されていた。

 クレブは、エイラによって途方もない災厄がもたらされると考えた。殺すべきなのかも知れない。しかし、エイラに対してそれはできない。しかも、もう遅すぎる。様々な葛藤を抱えながら、ひと言だけを告げた「見つかる前に出て行け、誰にも言うな」

 重い秘密を抱え、氏族会からの帰路、クレブの足取りは遅れがちだった。


○ 一族の未来

 洞窟に戻ると、イーザが病の床に伏していた。以前から、血を吐くことが何度もあったのだ。看病されながら、エイラには「ブラウドが族長になるときがきたら、ここを出て、北に住む同じ種族の人間を探しなさい」と繰り返し説いた。

 数日して、イーザが息を引き取ると、エイラは虚脱状態になった。氏族会に参加して十分な治療のできなかったことが、悔やんでも悔やみきれないのだ。エイラの乳が枯れ、ダルクはあちこちから母乳を分けてもらうようになった。みんなを「お母さん」と呼び、誰に対しても物怖じせず寄っていくので、男たちからもかわいがられた。しだいに、一族の男のトーテムが結束してケーブ・ライオンの霊を負かしたに違いない、と思われるようになった。

 ダルクにとって、エイラは特別な存在だった。お母さんとは呼ばずに、ママと呼び、夜はエイラとだけいっしょに眠った。2人で外に出たときは、一族の中では無作法とされていることだが、声を出して笑いながらふざけ合うこともした。


 クレブは、ダルクがエイラと一族の特徴の、両方を持っていることに気づいた。氏族会のときの話では、このような子どもが各地にいるらしい。「ダルクは一族全体の子供だ」「一族がこの大地から姿を消しても、我々はダルクの中に受け継がれる」と、考えたとき、閃く(ひらめく)ものがあった。・・・


 物語も、いよいよ終盤だが、紹介はここまでにしておきたい。「終盤」といっても全六部のうち、第一部のおわりが迫ったにすぎない。わたしは、自分たちと異なる種類の人間に対する興味から読み始めたが、人生のテキストとして繰り返し読んだという方もいるらしい。わたしも、孫娘が成長したならぜひ読ませたいと思った。


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