2020年7月10日金曜日

古代エジプトの「ミイラ医師シヌヘ」①


「ミイラ医師シヌヘ」(ミカ・ワルタリ 著、木原悦子 訳 小学館)は、古代エジプト文明がもっとも栄えていた紀元前1350年頃が舞台の小説。「この世で最も知恵のある医師」になりたいという志を抱いたシヌヘが、召使いのカプタと共に諸国を巡る物語。志とは裏腹に、女性がらみのトラブルに巻き込まれては、何度も危険な目に会う。1945年に
フィンランドで刊行された長編小説の「エジプト人」が原著で、それをコンパクトに翻訳し直したものだそうだ。

《エジプト(テーベ)》 
 テーベは古代エジプトの都。ナイル川に面した港町で、船着場ふきんには泥づくりの民家が密集している。シヌヘの父は医師で、この界隈では裕福な部類に入るものの、「貧乏医師」の一家としてつつましく暮らしていた。その診療室でシヌへは、子どもの時から治療のようすを見たり手伝ったりして育った。

アメン神殿

 7歳になると、幼児靴をぬぎ新しいサンダルに履きかえる。男物の腰布を巻き、アメン大神殿の生贄の儀式に参列した。神殿の参道には、羊頭のスフィンクスが連なり、境内は四方を高い壁で囲まれている。歴代の王たちの巨大な石像を見上げながら塔門を通ると、数々の建物が立ち並び、都市の中に都市があるようだった。
 入学前のシヌヘは「兵隊になりたい、字の読み書きをせずに暮らしたい」と思っていた。ピカピカの剣は子どもたちのあこがれであり、年上の遊び友だちからは、書き取りを教える教師の厳しさを聞かされていたからだ。そんなシヌヘを父は、伝説の英雄インテフの家に連れていった。数々の武勲をあげたかつての英雄も、今はしなびて歯が一本もない片腕の老人だった。「兵隊ほどみじめな仕事はない」という老人の言葉にシヌヘは衝撃を受けた。

 シヌヘが最初に通ったのは、職人や商人の子どもに読み書きの手ほどきをする寺子屋だった。が、数年後には大神殿にある神学校への入学を許された。父の旧友で、ファラオのお抱え医師をしているプタホルに頭を下げ、入試を受けることができたのだ。当日は一家総出で、家や周囲の路地を掃き清め、正装をしてプタホルを迎えた。その日は、もてなしの宴会で父とプタホルがしたたかに酔っぱらってしまい、試験は翌日になった。シヌへは、出題された短い詩を民衆文字と神聖文字の両方で、ひとつの誤りもなく書き表し、合格することができた。

 当時の高等教育は、すべてアメン大神殿の管轄だった。ここの神学校で良い成績を修めれば、さらに上級の「生者の家」で学ぶことを許される。神学校の卒業試験は聖別式と呼ばれ、神殿で一週間の不寝番をする。境内から一歩も出ずに断食をしている間に、アメン神が姿を現し直々にお言葉を頂けるはずなのだ。まだ、信仰心のあったシヌへはしきたり通りに質素な食事と沐浴をすませて式に臨んだ。その一方で、同級生にはぶどう酒や食糧をたっぷり持ち込んだり、中には抜け出して娼館にしけこんだりする者もいた。
 そのさ中、シヌヘは神殿内で美しい女から声をかけられた。ネフェルネフェルネフェルゥと名乗り、シヌヘが神学生なのを知ると誘惑し、口づけまで求めてきた。シヌヘはすっかりのぼせ上がってしまい、父の戒めを忘れた。  

聖別式の最後の夜、不寝番の中でシヌヘだけは祈り続けた。他の者は、サイコロ遊びをしたり眠ったりしていたが、夜が明けると口々に「アメン神の姿を見た」「声を聞いた」と報告した。シヌヘがそのような虚偽を言えずにいると、神官は「このままでは、聖別を許すことはできん」と言って奥の部屋に姿を消した。すると、あろうことか神像の声が四方八方から湧き上がるように鳴り響き、シヌへは思わず怖れ入ってひれ伏したが、うずくまりながらその声が神官のものであることに気づいた。信仰心を失うほどの衝撃をシヌヘに与えたまま、聖別式は無事終了した。

 生者の家もアメン大神殿の中にあった。どの科にも専門の王宮つき医師がおり、授業を監督している。幼いときから、父の診療を手伝っていたシヌへは、たちまち頭角を現し、同輩の指導を任されるようになった。しかし、疑問に思うことを質問しても、教師からは「そのように古文書に書かれておる」としか答えてもらえないので、次第に物足りなさを感じるようにもなった。
 そのような折、死期の迫ったファラオに、最後の治療として恒例の穿頭術を施すことになった。父の友人で王宮つき頭蓋切開医のプタホルから、シヌヘは助手に指名された。その予行演習として、頭部にケガをした患者の手術が行われた。頭蓋骨を切り取り、骨片や血の固まりを取り除いた後、銀板で穴をふさぐと、口がきけず手足も不自由だった男が、たちまち起き上がり悪口雑言をわめき散らすまでに回復した。このプタホルの技を、シヌはまるで奇跡のように感じていた。

 その熟練の技も、老衰したファラオには効果がなかった。「ファラオが回復されなかった以上、おまえたちは死なねばならぬ」と、プタホルとシヌヘそれに止血師の3名は衛兵に捕えられた。処刑場で、刑吏の剣が振り下ろされると止血師は恐怖のあまり気絶した。しかし、実際には首の寸前で剣が止められ、切られることはなかった。儀式が終了したので、3人は生まれ変わり、法は守られた。ただし、止血師だけは処刑されたと思い込んだためだろうか、本当に絶命していた。
 穿頭術の報酬は莫大な褒美だけではなかった。学校に戻ると、教師を含めて学校中の誰からも敬意を払われるようになっていた。そして、ファラオのミイラ化が完了した70日後には、医師として開業することを許された。テーベの町はずれに医院を構え、そこでの生活にも馴染んできたある日、友人の兵士ホルエムヘブから夜の街に誘われた。輿(こし)を連ねて2人が娼館に入ると、そこは偶然にもネフェルネフェルネフェルゥの店だった。

 シヌヘはたちまち夢中になり、彼女を独占したい一心で、言われるがままに財産のすべてを注ぎ込んだ。それでも、のらりくらりと言い逃れをされ、ついには父母の住む家と、二人の埋葬代まで巻き上げられてしまった。
 一文無しになって女に追い出されたシヌへが、もとの医院に戻ると、召使のカプタから両親の亡くなったことを告げられた。執行吏から「悪い女に黄金を貢ぐために、お前たちの息子は何もかも売っぱらったのだ」と家を追い出され、絶望した末に自殺したのだ。二人をミイラ化して、永遠の命を授けるためのお金も取り上げられたシヌヘは、「死者の家」でミイラ作りの手伝いをしながら、自分で両親をミイラ化することにした。カプタからは、なけなしの小銭を恵んでもらった。

 「死者の家」では、死者からの盗みや遺骸への冒涜が横行していた。法外な代金を請求しながら、貧民は灰汁と塩水の桶に30日間漬けられるだけだった。一方、王侯貴族には、高度なミイラ作りの技術が存分に施され、すぐれた技倆を持つ職人も少なからずいた。シヌヘが器用さを認められ、周囲からも一目おかれるようになったころ、両親の防腐処理が完了した。次は、埋葬場所を探さなくてはいけない。
 他人の墓地には、どこも警備員がおり、ミイラをこっそりとおさめることはできなかった。そこで砂漠に向かい、歴代のファラオが眠っている王家の谷を目指した。その中で、もっとも立派な墓の入り口近くに穴を掘り両親を埋めた。すると、砂の中から赤い石と宝石でできたスカラベの護符がでてきた。ファラオの副葬品として運ばれる途中、こぼれ落ちたもののようだったが、シヌヘにはそれが両親からの赦しの証のように感じられた。

 翌朝目覚めると、護符を譲ってくれという男が横に座っていた。鼻と耳を切り落とされているので、奴隷であることが一目でわかった。しかし、新王の発した解放令によって、自由民に戻れたのだそうだ。善良な農民だったが、強欲な金持ちに無実の罪を着せられ、石切り場で働かされていた。その男は、もう死んでいるけれども、復讐として、男の墓からお宝を盗み出すというので、シヌヘは「墓泥棒はどんな悪行にもまさる大罪」と、思いとどまらせようとしたが、結局は男と結構な額のお金を山分けすることになった。というのも、墓を警備するはずの兵士たちが、戴冠式の記念品が支給されなかった腹いせに率先して墓を荒らしており、川岸には略奪品を買い上げるシリア商人の船が何隻も集まっているありさまだった。当然、二人の盗みがとがめられる事もなかったのだ。


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