2020年8月23日日曜日

騎士と魔女裁判「アイヴァンホー」①

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「アイヴァンホー」はスコットランドの作家ウォルター・スコットが1820年に発表した長編小説。史実に基づいてはいるが、主人公は架空の人物。

《征服王》

 11世紀の中頃、王位継承の問題で揺れていたイングランドは、フランス北西部の領主ノルマンディ公の侵攻を受け、降伏した。ノルマンディ公は、フランス王の家臣でありながら、イングランド王の地位を手に入れ、ウィリアム一世を名のった。歩兵が中心のイングランド軍は、ノルマン軍の騎士による攻撃に対応できなかったのだ。

 騎士による人馬一体の戦術は、いっきに戦場の主役となったが、歩兵にくらべて鎧(よろい)や兜(かぶと)あるいは馬など、より多くの経費を必要とした。そこで君主は、軍役や忠誠への見返りとして、臣下に収入の見込める農地を与え、兵力を維持しようとした。

 この「封建制」と呼ばれる制度によって、土地を所有する領主や騎士が誕生し、この政治の仕組みは数世紀にわたって続けられたが、後には、君主と力の増した領主や騎士が対立する状況も生まれた。

 イングランドに封建制度が定着するのは、ウィリアム王が、旧支配勢力のサクソン人貴族を追放し、その土地をノルマン人の家臣に与えてからのことである。


《セドリックの館》

 ウィリアム王の即位から、約100年が過ぎても、勝者ノルマン人と敗者サクソン人との反目は続いていた。サクソン人の多くは圧政の下で、虐げられた毎日を過ごしていたが、ハロルド王の血を引くアセルスタンや先祖伝来の土地を守り抜いてきた郷士のセドリックは、昔ながらの力を有したサクソン人として、フランク王家からも一目置かれる存在だった。

 シェフィールドの森の奥深くに、セドリックの豪壮な屋敷がある。ある嵐の夜、修道院長のエイマーや聖堂団騎士ギルベールと従者など、ノルマン人の一行と巡礼姿の男が一夜の宿をたのんだ。セドリックは、広間に酒食を並べて歓迎の気持ちを示したが「ただし、食事中の会話はアングロ・サクソン語だけに限ってもらいたい」と、しきたりを告げたが、騎士のギルベールは、「フランス語以外を話す気はない」と拒絶した。当時の、イングランドに英語はまだ無かった。公用語としてのフランク語と、庶民の使うサクソン語。さらに、その2つを混ぜ合わせた混成語が、ことばの違う主人と使用人の意思疎通のために使われていた。


 少し遅れて、ロウィーナ姫が広間に登場すると、その気高い美しさに一同は息を飲んだ。幼いときに身寄りを亡くした姫は、この屋敷に引き取られ、アルフレッド大王の末裔として大事に育てられた。後見人であるセドリックの夢は、姫とアセルスタンの結婚によって、サクソン王国を再興させることであった。

 さらに遅れて、旅の老人が案内されてきた。嵐を逃れてきたらしく粗末な衣服がずぶ濡れになっていた。しかし、彼がユダヤ人であることに気づくと、修道院々長は不快感をあらわにして十字を切り。セドリックも、老人のていねいな挨拶に対して、言葉は発せず、冷ややかにうなづいただけだった。あいにく、腰をおろす場所がなかった。とまどう老人を無視し、だれも席を譲ろうとしない中で、末席にいた巡礼姿の男だけが立ち上がり老人を座らせた。枝を寄せて暖炉の火を大きくし、皿に取り分けた料理をすすめた。

 翌日の早朝に、ユダヤの老人と巡礼の男は、連れ立って出発した。老人は宗教上の迫害だけでなく、財産目当ての危難に出くわすことも多かったのだが、今回も、聖堂団騎士のギルベールに目を付けられていることが分かり、昨夜の親切な男に道中の護衛を頼んだのだ。老人は名をアイザックといい、粗末な衣服は強盗の目をあざむくためのものだった。また、この男の正体が騎士であることにも気づいており、報酬として馬と甲冑を用意させてほしいと言った。


《武芸御前試合》

 当時のイングランドは悲惨な状態だった。十字軍に出兵した獅子心王リチャード一世の帰還が遅れ、その隙に王位を奪おうとする王弟のジョンは軽薄、不信実の人だった。また、領主たちは、強盗まがいの横暴を重ねては、贅沢と軍備のための資金を調達していた。権力を持たない者たちにも、法外者(アウトロー)として徒党を組み山賊のような行為に走る者が増えつつあった。

 武芸御前試合は、そのような暮らしの憂さを忘れさせてくれる、万民に共通の娯楽だった。身分や財力に応じた観客席の区分けはあるが、貧しい平民も観戦することができた。ユダヤ人のアイザックも娘のレベカを連れて観覧席にいた。旅行中とはうって変わって、豪華な衣装を身にまとい、娘には東方の天女が舞い降りたかのような清らかさがあった。

 レベカの美しさに興味を持ったジョン殿下が、資産家のアイザックに恩を売るつもりで、上席を占めていた郷士の一団に席を替わるように命じた。命じられたアセルスタンが、王家の末裔らしい鷹揚さで、すぐに応じようとしないのを、傭兵が槍で脅すと、隣席にいたセドリックが手練の早技でその穂先を切り落とした。

 鮮やかな手並に多くの観客が喝采をおくった中に、人一倍大きな拍手をしている緑衣の男がいた。ジョンが見咎めたにもかかわらず、弓を携えたまま平然としているこの男に、一旦は怒りで我を忘れかけたが、すぐに警戒心を抱き「こいつから目を離すな」と命令するだけに止めた。


 試合は高名なフランク人騎士5名が、他の騎士たちの挑戦を受けるかたちで行われた。5人はそれぞれ3~4人の相手をして、そのすべてを退けた。中でも、強さの際立っていたのは、聖堂団騎士ギルベールだった。

 武芸大会の1日目が終わろうとする頃、新たな挑戦者が現れた。顔も名も隠したままの騎士は、盾にただ「勘当者」とだけ記していた。そして、鮮やかな手綱さばきと正確な槍の操作で、ギルベールに勝利すると、たちまちフランク人騎士のすべてを打ち倒した。

 翌日の大会で、優勝者に栄誉の賞を授けるのは、観客の中から選ばれた「美と愛の女王」である。ジョン殿下がユダヤ娘のレベカを指名したがるので、周囲からの顰蹙(ひんしゅく)を心配した腹心たちが、その権利を今日の優勝者に与えることを進言した。勘当の騎士は、馬をゆっくり巡らすと、満座の見守る中、ロウィーナ姫を選んだ。これに、セドリックは狂喜し、観客席からはロウィーナを讃えて「サクソンの王女万歳」という歓呼の声がわき上がった。

 勘当の騎士の正体について、様々な憶測が交わされたが、ジョンを震え上がらせたのは、リチャード王が遠征から帰還されたのではないか、というささやきだった。


 テントで野営をしている勘当の騎士は、身の回りの世話を、豚飼いのガースに頼んでいた。夜に、ガースがアイザックを訪ねたのは、馬と甲冑の代金を支払うためだった。ユダヤ人を上回るしたたかさで、代金を値切り、さらに娘からも法外な小遣いを得たガースが、大金とともに帰り道を急いでいると、緑衣の一団に捕らえられた。

 過酷な森林法によって生計のたたなくなった者らが、徒党を組み悪事を働くようになったのだが、ガースには、首領を中心に相当の大人数が、規律正しく動いているように見えた。首領は、ガースの恐れを知らぬ態度と率直さが気に入り、さらにガースの主人が勘当の騎士であることを聞くと「腕一本で得た金を取り上げるのは、義賊の良心に反する」と言って、何も奪わずに解放した。


 御前試合の2日目は団体戦である。勘当の騎士とギルベールがそれぞれ主将になり、両軍の騎士が入り乱れて対戦する。乱戦が進み、しだいに騎士の数が減っていく中で、戦闘に加わらず戦況をながめているだけの騎士が一人いた。観客の目にもとまり「のらくら黒騎士」とあだ名がつけられたが、ギルベール軍の生き残り3騎が一斉に、勘当の騎士へ襲いかかるのを見ると、猛然と突撃し、たちまち2騎を倒してしまった。勘当の騎士が残った一騎と主将のギルベールを倒し、勝敗が決した。しかし、殊勲の黒騎士は、試合の終わりを見届けると、ただちに馬首を返し姿を消した。

 優勝者として、ロウィーナ姫から花冠を受けるときに、勘当の騎士の正体が郷士セドリックの息子、ウィルフレッドであることが明らかになった。幼なじみでもあった姫と相愛の仲になったことで、家を追い出されたのだ。その後、リチャード王の家臣となり、貴族の仲間入りをしたことも、大地と共に生きてきたセドリックには、堕落に思えていた。

 再会の感動にふるえている姫の前に、ウィルフレッドはひざまづき、手に接吻をしたのだが、そのまま前のめりに倒れ、意識を失ってしまった。脇腹に槍の穂先が刺さったままになっていたのだ。二人は、式典係によってすぐに引き離された。負傷者はそれぞれの宿舎に送られるてはずになっていたのだが、それより早く、ユダヤ人のアイザックとレベカ親娘が、彼を助け出した。と、いうのも、娘のレベカは幼い時から老女ミリアムに医術の手ほどきを受け、ユダヤ人に特有の秘法も含めて、イングランド随一ともいえる治療技術を身につけていたからだ。父への親切に報いたいレベカの好意によって、ウィルフレッドは彼らと旅をともにしながら、傷を癒すことになった。

 ちなみに、この御前試合に出場した騎士、約100名のうち、死者は4名、重傷者は30名以上だったと伝えられている。

※「アイヴァンホー」ウォルタースコット著、

中野好夫訳、Kindle版を参考にしました。


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