2018年12月26日水曜日

⑳ ローマ帝国(8の下)「ヒュパティア③」

◯ 都督の企み
 アフリカ総督の勢いに乗じて、キリスト教勢力を一掃したい都督オレステスに、「アフリカ軍勝利」の知らせが届いた。彼は、古代ローマの施策「パンとサーカス」にならい、盛大な見せ物を開催する好機到来と考えたが、事実は逆で、勝利したのは帝国軍の方だった。
 ミリアム婆やキュリロス司教は、皇帝の伝令から手紙を奪ったり相手の船に潜入したりすることで、正しい情報を手にしていたが、それぞれ知らぬ風を装い決定的な機会を狙っていた。

 都督は、ギリシア・ローマ神を讃える催しを見せ物として構想した。たとえ、「反乱軍勝利」が誤報でも、1週間の猶予があれば、教会側を駆逐できると考えた。
 彼は言葉巧みに、権威者であるヒュパティアを見せ物の主催者として担ぎ出すことに成功した。彼女にとっては、残虐でグロテスクな内容に思えたが、「神々の復興」のために役立つならと受け入れることにした。
 当日、見せ物としてビーナスの踊りを披露したのはペラギアだった。アマールが酒席での約束を守った結果だが、ピラモンは、姉のあられもない姿を目にして怒りと恥辱にふるえた。
 思わず舞台に飛び出し、姉を連れ出そうとした瞬間、ペラギアにもアテナイで過ごした少女時代の記憶が甦った。羞恥心から苦悶の叫び声をあげると、はじめは熱狂していた観客も、しだいに興奮からさめ、見せ物の残酷さや異教性を非難しはじめた。さらに、アフリカ軍の勝利が嘘であることが暴かれると、人々の怒りは頂点に達した。

◯ 人の行く末
 見せ物は悪魔の陰謀とされ、都督本人のみならずヒュパティアやぺラギアも攻撃の対象となった。窮地のオレステスは、責任を逃れるために、またも嘘をでっち上げようとしていた。
 ペラギアは、自分自身を恥じ、賢く尊敬される人間になりたいと、ヒュパティアへの弟子入りを哀願したが、その返答は「罪深い者、卑しい者にかける言葉はない」「塵のごときものは、塵に還るしかない」というものであった。
 この手紙を見たピラモンは、怒りよりもヒュパティアに同情を感じた。思い返せば、彼女が不幸な人を助けているところや、悲しむ人に同情のことばをかけるところを見たことはなかった。「それが彼女の哲学の成果だったのだ」と考えたとき、彼の心は子どもの時から慣れ親しんだ、修道院での信仰に完全かつ無条件に飛び戻った。

 ヒュパティアもまた絶望の中にあって、せめて神々の存在を実感したいと願っていた。ミリアム婆にそそのかされ「ヘレネの無憂薬」を口にしたとたん、意識を失いアポロンの降臨を体験した。再度、婆の施術によって入神状態になっているところを、ピラモンに見られたヒュパティアは恥じ入り、明日の講義を最後にアレクサンドリアから離れることを決意する。が、婆によって例の黒瑪瑙(めのう)が奪われていることには気づかなかった。

 翌朝、講義の準備をしているヒュパティアのもとにラファエルが現れる。洗礼を受け妻帯者となった彼が、放浪の果てに得た信条は「崇高とは、最も下賎なところにも身を屈め得ること。正義とは、怒り・嫌悪するしかないような人々を愛し、助け、命さえ投げ出すほどに苦しむこと」であった。
 ラファエルとの対話によっても輝かしい雲上世界、美しいもの、崇高なものの幻想を捨てることのできないヒュパティアであったが、彼の変わりようを見て自分も彼の妻ウィクトーリアの気高さに触れ学びたいと感じ、自分の残酷さを後悔した。

 ピラモンとラファエルは、キリスト教信者の不穏な動きを警告するが、ヒュパティアは「神々の加護を疑うわけにはいかない」と、予定どおりムーセイオンへ向かう。すると、一見平穏に見えた街角から、潜んでいた暴徒の一団が現れ彼女を連れ去ってしまう。ピラモンらは救出のために力を尽くすが及ばず、ヒュパティエは想像を絶する残虐な方法で命を絶たれた。
 せめてペラギアだけでも救い出そうと、ピラモンはゴート族の屋敷へ向かった。共に逃げようと説得する弟に対し、姉はアマールのもとに残ることを選ぶ。やがて、ピラモンとアマールの格闘となり、塔の上階から転落した二人は石組みに激突する。

 小説「ヒュパティア」の最終章「人の行く末」には、黒瑪瑙の役割や、ピラモンとアマールの死闘の結果だけでなく、キュリロスやラファエル、ゴート族など他の登場人物についても「己の行くところへ行った」と、それぞれの行く末が記されている。が、ここでその全てを明らかにすることは控え、哲学とキリスト教のその後についてだけ記したい。

 ヒュパティアの死は、衰えつつあった哲学にとって致命的な打撃となった。しかし、キュリロスとその修道士たちにも、邪悪な勝利への報いは下された。信仰を口実にした悪行や陰謀が認可されたことで、それ以後の教会は年ごとにますます無法になり、やがて、外部の敵がいなくなると次は教会内部に対しても凶暴性を発揮するようになった。
《 終わり 


 本稿は、チャールズ・キングズリー著「ヒュパティア 古い相貌の新たなる論敵」のあらすじですが、日本語訳はhttp://homepage-nifty.com/suzuri/index.htmに依っています。詳細な訳注も大変参考になりました。ありがとうございました。

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