2021年8月14日土曜日

「メディチ家の紋章(下)」

テリーゼ・ブレスリン著、金原瑞人・秋川久美子 訳(小峰書店)

 1500年頃のイタリアでは、戦火の絶えることがなかった。ヨーロッパを支配する力を持つ、メディチ家の金印を手にしたために、命を狙われることになった孤児の少年ヤネクは、ダ・ヴィンチの庇護のもとで思春期を過ごしていた。そんなある日、完成目前の壁画が流れ落ち台無しになった。今回は、その後編

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 ダ・ヴィンチにとって不本意な結果には違いなかったが、この事故で彼の活力が削がれることはなかった。飛行装置の製作やリザ夫人の肖像画に、以前にも増して情熱を注ぐようになった。リザ夫人は裕福な絹織物商人の妻で、死産の悲しみから立ち直れずにいた。心配した夫が、ダ・ヴィンチに話し相手を依頼したのだ。肖像画が描かれている間の、夫人の退屈をまぎらわすのがマッテオの仕事だった。おばあさんに教えられた神話や民話は、夫人にも喜ばれ、ある日、話し終わったマッテオに、夫人からのプレゼントがあった。それは、トスカーナ地方のことばで書かれた童話の本で、マッテオはお礼を言い忘れるほど驚いた。夜、寝床でそれをながめていると、これまでの悲しかったことの全部がふいに思い出され、涙がとまらなくなった。翌日からマッテオは筆記屋に通い、その本の読み方を教わりはじめた。

 マッテオの勉強が、読む練習から書く練習に進んだ頃、リザ夫人にも変化が起きた。体内に新しい命が芽ばえ、その準備に夫人の心が向けられるようになった。肖像画は、もう必要のないものになったので、ダ・ヴィンチは工房に持ち帰ったのだが、それに時々手をいれたり、一時間以上もじっと見つめたりすることを、その後も生涯続けた。

 フィレンツェ評議会が、壁画の納期や足場の弁償についてうるさく言ってくるので、フェリペは対応にうんざりしていた。一方、ミラノ公国を征服したフランスは、ダ・ヴィンチの才能を自領で発揮させるために、フィレンツェでの負債を肩代わりしてもよいと考えていた。ダ・ヴィンチらはミラノへ行く決心を固めたが、それまでに飛行装置を試したいと考えた。


 人間が空を飛ぼうとすることは、創造主の意思に反する行為と受け取られる恐れがあった。今をおいて、人目の少ない場所と、最適な気候条件を得られる時はなかった。操縦者には、体力に優れたゾロアストロが志願した。皆は成功を信じ、採石場から空中高く舞い上がったゾロアストロも一旦は歓声をあげたが、突風によって吹き落とされ、地面に叩きつけられた。マッテオは痛み止めの煎じ薬をつくったが、苦痛を多少やわらげてやることしかできなかった。5日後にゾロアストロが亡くなると、ダ・ヴィンチは泣きながら納屋の中のものを投げ散らした。

 さらに、悪いことが重なった。筆記屋のシニストロが両目をえぐられ何者かに殺害されたのだ。その知らせを聞いた数日後に、彼からの手紙が届いた。「最近、店の付近をうろついている男がいる。両手の親指の爪を鉤爪(かぎづめ)のように伸ばした気味の悪い男だ。そいつが、今晩、おまえのことを聞きたいと言ってきた。恐ろしい危険が迫っているのに違いない。できるだけ遠くへ逃げろ。」マッテオには、その男がサンディーノだということがすぐにわかった。シニストロが殺される前に、手紙で危険を知らせてくれたのだ。「どこまで知られたのか、どうするべきか」答えを出せないまま、1506年の6月のはじめマッテオらはミラノに向けて出発した。

 当時のミラノは、フランス宮廷の支配下にあった。ダ・ヴィンチが最上級の待遇で迎えられると、その恩恵を受け、工房の面々にも宮廷人のようなくらしが与えられた。料理人や洗濯係、有能な秘書までそろっているので、絵を描けないマッテオの仕事は勉強だけになった。ギリシア語、ラテン語の他、数学、歴史、哲学を学び、先輩のグラツィーノとフェリペからは上流階級に必須のダンスを練習させられた。

 3年が過ぎた頃、ダ・ヴィンチが解剖学の権威であるマルカントニオ教授を訪ねることになった。マッテオがそのお供に選ばれたのだが、滞在期間が何ヶ月にもなると聞き、出立前にパオロとエリザベッタの兄妹に会っておきたいと考えた。

 ふたりの住む農場へは、マッテオと気のいいフランス人将校のシャルル、馬丁の3人で向かった。途中、街道沿いにロマの家族がキャンプを張っているのを見て、馬丁が「無断で、テントを張ることはならん」と咎めた。マッテオが吊るされている赤い布はお産の印であることを教えたが、彼は聞き入れず「害虫は駆除されるべきだ」といって立ち退きを強要した。同情したシャルルが銀貨を投げ与えたが、ロマの父親は子どもたちに拾うことを禁じた。

 久しぶりに会うエリザベッタは、ずいぶん大人びて見えた。ハーブ園を案内しながら、将来は薬草として大々的に売り出す予定だと話した。彼女を見て、シャルルはひと目で気に入ったようすだった。手をとってキスをし、戦場から手紙を出すことの許しをもらっていた。また、剣での復讐を誓ったパオロが、騎士道や大義への憧れを語ったときには、腹の傷跡を見せながら戦場の残酷さを教えた。

 帰り道、ロマの家族はすでに立ち去っていたが、銀貨は残されたままだった。迷ったものの、拾わずにおくことが、追跡者にとって良い目印になるとは気づかなかった。

 ダ・ヴィンチが、パーヴィア大学にマッテオを連れてきたのは、教授との対話を聞かせたり、大学図書館の膨大な蔵書に触れさせるためだった。短い期間ではあったが、すぐれた師の元で充実した学生生活を過ごすことができた。ダ・ヴィンチと密かに行なっていた人体解剖を、ここでは、見物料をとって一般人にも公開していた。そのときは、悪臭に耐えきれない婦人が気絶したり、それを見越した行商人の、香木や匂い袋を売るための店が並んだりして、大層な賑わいになった。

 マッテオの学生生活は、同盟関係にあった教皇とフランス宮廷の間に生じた亀裂によって、終わりを告げた。戦闘に巻き込まれることをおそれて、2人はミラノへと戻った。行くときは2つだった荷物が、帰るときには14になっていた。そのどれにも、ダ・ヴィンチの描いた解剖図がぎっしり詰められていた。

 時を同じくして、前から体調のすぐれなかったパオロとエリザベッタの叔父さんが亡くなった。遺産として相続した農場を、守っていくのがエリザベッタの望みだったが、パオロはそれを抵当に傭兵を集め、戦場に出ることを夢見ていた。マッテオが兄妹に会った帰り道、例の銀貨の場所に差しかかった時に、突然3人の男が現れ、襲いかかってきた。

 やっとの思いで、2人を振り切ったが、最後の1人に追い詰められ、修道院に逃げ込んだ。偶然出会ったのは、まだ見習いの風変わりな修道女だった。怯えることなく、娘はあれこれとしゃべり続けた。頭の回転も速く、マッテオは彼女の機転と勇気で危機を乗り切ることができた。彼女から、追っ手は想像していたようなギャングではなく、ヤコポ・デ・メディチという名の紳士であることを教えられた。

 マッテオは、「ロマの風習に詳しい、若い男が残した銀貨」の場所で、メディチ家の者らが辛抱強く待ち伏せしていたことを理解した。それは、金印を盗んだ者に復讐するために違いなかった。昔、暴動によってフィレンツェから追放されたメディチ家は、賢明で芸術を愛し、高貴で威厳に満ちている一方で、利己的で高慢で、軽蔑すべき残忍な一族だった。サンディーノに加えて、メディチ家からも追われる身となったマッテオは、軍隊の中に身を隠すことにした。

 パオロは借りたお金で武器をそろえ、付近の村から若者を集めて傭兵隊を編成した。ほとんどが、報奨金や名誉を期待し、農作業から解放されたことを喜ぶ気さくな連中だった。教皇軍を打ちのめしたい一心で、パオロはフランス軍と行動を共にすることにし、副官にはマッテオを指名した。

 契約期間の一年が過ぎる頃には、二人の指揮官ぶりもさまになってきた。それは、激烈な戦闘を何度かくぐり抜けた結果だった。一緒に村を出た仲間のうち6名が、最初の戦いで命を落とした。兵士を補充するために、エリザベッタは家具や食器を質に入れて、お金を工面していた。

 一方、マッテオは、治療した兵士の回復がはやいことや、ダ・ヴィンチやマルカントニオ教授に師事した経歴が注目され、医師としての道が開けつつあった。

 士気を高めるための舞踏会が、フェラーラ侯爵の城で催された。マッテオはそこで、以前助けられた風変わりな見習い修道女と再会した。「修道女には向いてなかった」という彼女は、今は侯爵夫人の侍女をしており、名をエレアノラといった。貧しい貴族のひとり娘で、親を亡くし親戚のもとに身をよせていた。孤児ではあるが、れっきとした貴族のエレアノラ嬢だった。

 叔父からは、前妻を3人も亡くした裕福な商人への嫁入りをすすめられていた。当時の女性は、出産で命を削られることが多く、妻に先立たれている男は珍しくなかった。また、修道院に入ったのは、文学や哲学書を読むためだった。女性が学問を続けるには修道女になるしか道がなかったのだ。

 二人は、何度か顔を合わせるうちに、互いに惹かれ合うようになった。しかし、身分の差や持参金の問題など、結婚までには様々な困難が横たわっていた。また、叔父の勧める嫁入り話も、もう断れない状況になっていた。ラヴェンナの戦いの前日。マッテオは「きみのために帰ってくる」と誓ったが、エレアノラは「私はここにいるかもしれないし、いないかもしれない」と答えた。

 1511年に教皇が呼びかけた神聖同盟によって、フランスはスイス、イングランド、スペインから包囲されることになった。ミラノにも火が放たれる状況を見て、マッテオらはエリザベッタをフィレンツェの郊外まで避難させることにした。農場は、傭兵隊に資金を提供し続けたせいで、家計が火の車となり、あらゆるものが抵当として取り上げられる寸前だった。

 エリザベッタには、ハーブ園の枝や種子を持って出るように伝え、おばあさんの薬草のレシピを渡そうと思った。土の中から掘り出した箱には、処方を記したノートだけでなく、色々な書きつけも一緒に残されていた。これで十分な収入が得られるはずだと考えたが、その中に、マッテオが文字を教えてもらえなかった理由も隠されているとは知らなかった。

 総司令官を失ったフランス軍が、イタリアからの撤退を始め、気のいい将校のシャルルも戦死した。生き延びたマッテオとパオロだったが、結婚の資金にしようと金印を金細工商に持ち込んだことで、張りめぐらされたメディチ家の網にかかり、再び追われることになった。

 二人は、わき道を選んで馬を走らせフィレンツェに逃げようとしたが、偶然、おばあさんが最後に目指した土地カステル・バルタを通ることになった。すると、そこに待ち伏せていたのは、執念深いサンディーノだった。

 さて、物語もいよいよ終盤をむかえたが、これ以上の紹介はさし控えようと思う。

 2人の少年は、それぞれが抱えた心の重荷と、どう向き合っていったのか?、マッテオとエレアノラ嬢の恋の行方は?など、気がかりを残したままになりますがお許しください。また、巨匠ダ・ヴィンチと少年マッテオの心温まる交流のようすも、十分にお伝えすることができませんでした。重ねておわびします。

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