2021年8月14日土曜日

「メディチ家の紋章(上)」

テリーゼ・ブレスリン著 、金原瑞人・秋川久美子 訳(小峰書店)

 孤児の少年ヤネクは、メディチ家の金印を手にしたために命を狙われることになった。溺死寸前のところを、ダ・ヴィンチの一行に救われ工房の一員となる。ルネサンス期である15世紀頃のイタリアでは経済的な繁栄とは裏腹に、フランス軍の侵入や都市間の衝突など、戦乱が頻発していた。今回は、その前編

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 ヤネクは、放浪の民族「ロマ」の少年。父母の顔を知らないまま、おばあさんに育てられた。煎じ薬をつくり、占いをするおばあさんを手伝いながら、ヤネクも薬草の知識や占いの基本を身につけた。占いの基本とは、超能力ではなく、相手を注意深く観察することだった。一方、薬草や煎じ薬については、ヤネクの知らない知識がまだたくさん残っていた。おばあさんは、それらをノートに書き留め残してくれていたが、字の読めないヤネクは、おばあさんの亡くなった時に、それらをみんな他の書き物と一緒に埋めてしまった。
 
 ヤネクが字を読めないのは、学校へ行ってないからだった。二人は荷馬車を家にしていて、イタリアのあちこちを旅しながら暮らしていた。ある夜、怪しい男たちが訪ねて来て、ナイフでおばあさんを脅しながら、ケシの煎じ薬を出すように言った。「それは毒薬にもなります。めんどうはごめんです」と断っても、男たちは承知しなかった。一人が、ヤネクの名前を尋ねたときに、おばあさんが「カルロ」と嘘の名前を教えたのが不思議だった。

 男たちが帰ると、おばあさんは馬の蹄を厚い布で巻き、すぐに出発した。足跡が残らないように石ころだらけの道を選び、排泄物も拾い上げて残さず運んだ。寒かったけれど、休む時も火はたかなかった。夜通し進んでようやくカステル・バルタに着いたが、その時の無理がたたっておばあさんは体調を崩し、二度と元気にはなれなかった。人が亡くなると、住んでいた家もいっしょに燃やすのがロマの習わしだった。そこで、ヤネクは家のかわりに荷馬車を燃やしておばあさんを弔った。

 一人で生きることになったヤネクは、空腹を満たすために盗みをはたらくようになった。やがて、倉庫の錠前を破ることにも上達すると、悪人のサンディーノから声をかけられた。盗み出した保管箱の鍵を開け、金印を取り出す仕事だった。首尾よくヤネクが金印を取り出すと、一味の手引きをした神父はヤネクを正当な持ち主と思い、「肌身離さず持っておくように」と言いながら、それを皮の小袋に入れてヤネクの首にかけた。しかし、その直後に、彼はサンディーノによって棍棒で殴り殺され、ヤネクもその一撃を受けた。危ういところだったが、足を滑らせ川に落ちたことで、命拾いをすることができた。下流に流されたヤネクは、野宿をしているダ・ヴィンチの一行に救い上げられた。

 とっさに、金印の入った袋を隠したが、ヤネクはまだ、その本当の価値を知らなかった。これは、メディチ家の紋章をかたどっており、どんな文書にもメディチ家としての認可を与えることのできる金印だった。

 メディチ家とは、最近までフィレンツェの支配者として君臨していた一族で、イタリア各地の領主だけでなく、教皇やフランス王などにも大金を融通するほどの大銀行家だった。サンディーノに殺された神父は、メディチ家に協力するつもりで彼らに手を貸したのだが、一味を雇ったのは、メディチ家と敵対するボルジア家だった。

 数年前、市民らによって追放されたメディチ家にかわり、中部イタリアに支配を広げつつあったのがボルジア家だった。筆頭は教皇のアレクサンデル6世で、その息子であるチェーザレ・ボルジアは、冷酷な陸軍司令官として恐れられていた。本来イタリアは、都市国家の集まりだったが、中部イタリアには教皇領が広がっていた。チェーザレの軍隊は、さらに周辺の都市を次々に攻め落とし、教皇領を半島全域に広げようとしていた。

 ダ・ヴィンチの一行は、ペレラ砦へ向かう旅の途中だった。名前を聞かれたヤネクは、とっさに偽名を使い「マッテオ」と名乗った。自分がロマであることを知られたくなかったのだ。ロマの一族には、移住生活を続ける者が多い。金属製品や編みカゴを作り、占いなどで生計を立てているが、中には盗みや詐欺をはたらく者たちもいて、都市への出入りを禁止される等、差別的に扱われることが多かった。ヤネクは、サンディーノの追跡から逃れるためにも、これまでの名前を捨てマッテオとして生きていくことを決意した。 

 ペレラ砦は、最近、チェーザレ・ボルジアによって攻め落とされた砦のひとつで、建築の専門家であるダ・ヴィンチが城郭や城壁の手直しを依頼されていた。砦には、守備隊を指揮するダリオ・デロルテ大尉と奥さんや四人の子どもたちが、兵士らといっしょに暮らしていた。

 子どもたちはマッテオを遊び友達として歓迎し、お気に入りは馬上槍試合ごっこだった。長男のパオロは、体格に恵まれた12歳で、マッテオより2才年上だった。マッテオは彼に負けてばかりだったが、ある日、悔しさのあまり感情を爆発させてナイフを取り出したことがあった。ナイフ使いが巧みなのは、ロマの男のたしなみだ。ダ・ヴィンチがなりゆきを見守っていると、パオロが、配慮の足りなかったことを詫びハンディを工夫して再び遊び始めた。

 マッテオが初めて勝てたときには、貴婦人役の妹2人が手をたたいて喜び、姉のロッサナが手づくりの王冠をかぶせるためにとんできた。ダ・ヴィンチからおもちゃのパラシュートの作り方を教わり、塔の窓からふわふわと落として遊ぶこともあった。末っ子のダリオが喜んで、しっかり抱いていないと窓から落ちてしまいそうだった。

 おばあさんと旅をする毎日だったマッテオにとって、ペレラ砦での生活は人生の中のオアシスのような時間だった。彼は、ここで初めて「いっしょに遊ぶ」ということを学んだ。嫌だったのは朝の勉強時間で、3人が本を読んだり字を書いたりしている間、外をぶらぶらして時間をつぶした。同じ部屋にいて、文字の読めないことを知られるのが恥ずかしかったのだ。

 ペレラ砦の改修が終わると、一行はアヴェルノ城へ移った。城壁や兵器を設計する合間に、ダ・ヴィンチは人体の解剖にも取り組んでいたので、夜の霊安室にカバンを持って同行するのがマッテオの仕事になった。あまりの不気味さに、思わずしてしまったロマの魔除けの仕草を、ダ・ヴィンチは見逃さなかった。彼は、飛び立つ鳥の動きでも正確に描写できる観察眼を持っていた。

 マッテオはダ・ヴィンチの指示通り、自分の尿でぬらした布をマスクにして、ランプを掲げた。尿の成分が悪臭を除き、死体の発する有毒な物質も中和する、とダ・ヴィンチには言われたが、頭はくらくらしていた。それでも、息が苦しいのをがまんして、夜明けまで必死に立ち続けてた。

 冬が間近に迫ると、マッテオも新しい服を仕立ててもらえることになった。髪は防寒のためにあると聞かされて育ったが、工房一の洒落者であるグラツィアーノの説得で、散髪にも同意した。照れてふてくされているとダ・ヴィンチから「感情は否定しないが、感情のままにふるまうと、とりかえしのつかない事態になることがある」と諭され、ペレラ砦でのナイフの一件を思い出した。また、逆にマッテオが薬草の知識を生かしてグラツィアーノを長年の胃痛から開放してあげたこともあった。野育ちの少年だったマッテオは、工房の仲間から様々なことを学びながら思春期を過ごした。しかし、文字の勉強にはまだ踏み込む勇気を持てないでいた。

 ボルジア家はイタリアの中部であるロマーニャ地方の大部分を手に入れ、さらに勢力を拡大しようとしていた。しかし、1502年の終わり頃、配下の将校や地方領主たちの中に、チェーザレの残忍さと野心を恐れ反乱を起こす者が現れた。すると、彼は、クリスマス晩餐会で招待客のひとりを処刑して見せしめにすると、今度は、反乱軍の駐屯地に出向き、和解と称して反乱将校の全員をだまし討ちにした。さらに、町の住民たちも反乱軍の協力者であるとして、皆殺しにするよう命令を下した。あちこちから悲鳴や火の手のあがる混乱の中で、マッティオはサンディーノの姿を見つけ、物かげに隠れた。聞き耳をたてていると、彼はペレラ砦を焼き尽くしてでも金印を手に入れるつもりで、襲撃のための部隊がすでに出発していることが分かった。

 サンディーノの手下が、砦に侵入したとき、大尉はまず長男のパオロを隠し部屋に入れた。男子は、成長すると仇討ちを企てることが多いので、真っ先に殺されるのが通例なのだ。奥さんと他の子どもたちは礼拝堂に避難させた。幼児や女たちに手出しすることはあるまいと大尉は考えたのだが、敵は非道で執念深かった。奇襲によって大尉とともに守備隊を全滅させると、徹底的に家探しをしながら礼拝堂に到達した。

 奥さんは、娘たちに「後を追うように」と言い残して、末っ子のダリオを抱いたまま崖から身を投げた。しかし、娘たちが母の後を追うことは、凶賊らによって阻止された。隠れているパオロの耳に、凌辱される妹たちの悲鳴が聞こえた。飛び出して助けたいと思ったものの、恐怖のために体が動かなかった。このことは後々まで彼を苦しめ、自責の念からパオロは復讐に執念を燃やすようになる。

 ダ・ヴィンチらは、ようやく町を脱出し、ボルジア家の支配が及んでいないフィレンツェへ向かったが、マッテオはひとり、彼らと別れてペレラ砦を目指した。必死に馬を走らせたが、着いたときにはもう、戦いは終わり手下たちも引き上げた後だった。

 マッテオが姉妹を見つけた時、姉のロッサナは呼びかけにも答えず、外界から完全に心を閉ざしていた。一方、エリザベッタは、挑むようにマッテオを見つめ「わたしは、このことで自分を恥じたりしない」と言った。凶賊らは、何かを探し回ったが見つけられずにあきらめた。と聞いて、マッテオは自分の責任を改めて感じたが、それを兄妹たちに知られることは怖れた。

 マッテオに少し遅れて、サンディーノ自らが金印を探しにやって来た。隠し部屋のことを知っており、隠れても見つけ出されるに違いないので、子どもたちは母が身を投げた崖を降りて逃げることにした。助け合いながらロッサナを連れて谷底に降り立つと、母とダリオの亡骸があった。母にダリオを抱かせてあげたいと思ったが、自分たちの痕跡が残ることを避けあきらめた。

 4人は、以前にマッテオとダ・ヴィンチが、解剖のために訪れたことのある修道院に逃げ込んだ。院長が、子どもたちを奥の死体安置所に隠すと、そこはペストによる死者の安置室だったので、執念深いサンディーノもさすがにそれ以上の追求はしなかった。さらに、4人は排水管や地下水道をたどり雪山を越えて、ようやくメルテ村の女子修道院にたどり着いた。そこの修道院長は、ペストの件を聞くと、子どもたちの衣服を焼き髪もすべてそるように指示した。さらに、ロッサナの体を調べ診療所につれていったが、食べ物を受けつけない彼女は回復できないまま、二日後に息を引き取った。春になるのを待って、パオロとエリザベットは親戚のいるミラノへ、マッテオはダ・ヴィンチのいるフィレンツェに向けて出発した。

 1503年、横暴を極めたボルジア家の要ともいえる、教皇のアレクサンデル6世ことロドリゴ・ボルジアが死去すると、後継者のピウス3世も急死した。毒殺の噂が流れる中、チェーザレ・ボルジアも失脚してスペインに亡命した。サンディーノがまだ残っているので油断はできなかったが、マッテオはようやく安心して町を歩けるようになった。

 口が固く画材の準備にも抜かりがなかったので、ダ・ヴィンチは、外出のときにはいつもマッテオを連れて歩くようになった。祖母から薬効について学び、解剖にも数多く立ち会ったおかげで、マッテオの医療に関する知識はかなりのものになった。また、ダ・ヴィンチもこの少年の祖母が、色々な知識をさずけ「イーリアス」や「イソップ物語」などさまざまな物語や神話を教えたにもかかわらず、なぜ文字の読み書きを教えていないのか疑問に思うとともに興味を持っていた。

 フィレンツェは自治都市である。その評議会から、ダ・ヴィンチはヴェッキオ宮殿の壁画を依頼された。足場を登り降りしては、工房で腕をふるう多くの職人に道具を渡すのが、身軽なマッテオの仕事だった。下書きがほぼ完成し、彩色に取りかかるのは13日の金曜日と聞いて、マッテオは非常な不安を感じた。彼以上に迷信深い、錬金術師のゾロアストロと共に、二人が動揺を隠せないでいると、ダ・ヴィンチは言った。「死産を、ヒキガエルをまたいだせいという人がいる。お前はそれを信じるか」と聞かれ「信じません、けど・・・おばあちゃんは、古い言い伝えは真実のかけらからできていると言っていました」と答えた。ダ・ヴィンチは「ヒキガエルのせいにすれば、誰も傷つかない。しかし、本当の原因がわかれば、また同じことが起こるのを防げるかもしれない」「これが、論理的思考だ」と言い、「精神が自由に解き放たれていなければ、自由な生活に価値はない」とも言って、このときも文字の勉強をはじめるように勧めた。

 マッテオに生まれて初めての手紙が届いた。差出人の「エリザベッタ」は読めたが、内容については見当がつかないので、横丁の「筆記屋」のシニストロに頼んだ。その後も、彼女からの手紙は半年毎に届いたが、4通目にはとうとう、マッテオからの返事が来ないことを悲しみ、届いていないかも知れない手紙にこれ以上お金を使うのはやめようと思う、と記されていた。

 支配人として工房の一切を取り仕切っているフェリペに、返事を出したいのでお金を貸してほしいと頼んだ。すると、信じられない交換条件を出された。ダ・ヴィンチがマッテオの教育費を肩代わりしてくれるというのだ。初めて読み書きの必要性を痛感するようになったマッテオが、おずおずと「教育を受けさせていただきます」と答えると、フェリペはマッテオの肩を抱き「よかった」とつぶやいた。

 しかし、思わぬ事態が発生し、マッテオは勉強どころでなくなった。順調に進んでいるように見えた壁画の彩色だったが、ある朝、乾いたはずの絵の具が湿気を帯び流れ落ち始めた。乾燥させるために火を焚き、薪が足りなくなると足場の材木を割って燃やした。しかし、絵の具は固まらず完成直前の絵は台無しになった。原因は、仕入れた油の品質に問題があった。新教皇がミケランジェロやラファエロなど、多くの芸術家をローマに集めて大々的な取り組みを始めており、商人たちも良質の油は、高値のつくローマに回しているのだった。壁画の修復にはグラツィアーノだけがあたり、職人たちの大部分はこの日までの手当を受け取ると、芸術ラッシュに湧くローマに向かった。

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