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コペルニクスが没して数年後の1546年に、デンマークの貴族ティコ・ブラーエが誕生した。彼は、天体の観測精度を飛躍的に高め、膨大な観測記録を残したことで知られている。几帳面な人物が想像されるが、大の宴会好きで、若い頃の決闘で鼻を失っていた。豪勢に飾り立てられた天文台には、錬金術実験室や不届な使用人を放り込む監獄もついていた。当時の観測装置にはまだレンズがなく、肉眼だけで計測をしていたが、ティコの天文台は、通常の5倍の精度があることで名高かった。彼の理解者で支援者だったデンマーク王が亡くなると、神聖ローマ帝国の首都プラハに観測器ごと引っ越し、そこでヨハネス・ケプラーに出会った。
ケプラーは身分の低い家柄で、父が犯罪者、母も魔女の疑いをかけられて追放されるなど、家庭的には恵まれていなかった。彼自身も、君主から処刑してやると脅され、プラハに逃げてきたところだった。天文台に助手として雇われた数ヶ月後、ティコが晩餐会での無理がたたって亡くなってしまい、残された観測データを引き継ぐことになった。元々、太陽中心説の正しさを確信していたケプラーは、これを分析することで、コペルニクスの宇宙が天動説に精度で劣る原因をつき止めようと考えた。
没頭し、複雑な計算を積み重ねる毎日を8年間続けた。その結果、次の3点を修正することで天体の軌道を正確に算出できることに気がついた。中でも重要だったのは、古代から信じられてきた「天体の軌道はすべて真円を描く」を捨て去ることだった。
①惑星は、完全な円を描いて運動する。→ 惑星の軌道は楕円形。
②惑星は一定の速度で運動する。→ 惑星はたえず速度を変えている。楕円軌道上にある惑星が、太陽に近いときには速く、遠くにいるときは遅くなる。
③太陽は天体の軌道の中心に位置する。→ 楕円軌道には焦点が2つある。太陽は、そのどちらか一方に位置する。
✳︎楕円の描き方と惑星の軌道
2本のピンを立て、それを長めの糸でつなぐ。その糸がたるまないようにして、ペンを一周させると楕円ができる。2本のピンの位置が楕円の焦点
1609年、ケプラーはこの成果を「新天文学」の書名で出版した。太陽系が完璧かつ正確に描写されていたにもかかわらず、反響は冷ややかだった。計算するのには便利だが、現実世界とは無関係のモデルと考えられた。その理由は「すべての物が地球に向かって落ちるのに、どうすれば地球や惑星が太陽のまわりを回れるのか?」という疑問に、ケプラー自身も答えられなかったからである。また、円を退け楕円軌道を採用したことも、嘲笑の種にされた。
期待はずれの評価を受け、意気消沈しているケプラーを励ましたのは、イタリアのガリレオが望遠鏡で天を調べている、というニュースだった。
「宇宙創生」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。
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