2022年9月27日火曜日

天文学こと始め①「地動説の芽生え」

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 太陽は、朝になると東に姿をあらわし、夕方には西の端に姿を隠す。私たちには、太陽が東から西に動いていったように見えるし、昔の人の多くもそう考えていた。

《神話時代》

 この世界が誕生したときのようすを昔の人たちがどう考えていたかは、世界中に残されたさまざまな神話で知ることができる。中国では、宇宙卵から生まれた「盤古(ばんこ)」という巨人が、大地に山や谷を彫り、大空に太陽や星々を取りつけた。彼が死ぬと、頭蓋骨が天のドームになり、肉と血が陸と海に変わった、と伝えられている。太古の人々にとって、大地は果てしなく広く、太陽と星々は大地を中心に動いていた。

《古代ギリシア》

 古代ギリシアでは、大地は球形だという考え方が広く受け入れられるようになっていた。その主な理由は、①水平線の向こうに遠ざかる船では、マストが最後まで見える。②月は丸い、同じように大地も球形だろう。③月食のとき月面に映る影は、大地が丸いことの証。などだった。そのとき問題になるのは、「南半球に住む人たちが、落っこちないのはなぜか」ということだったが、「すべての物は宇宙の中心にむかって落ちる」「地球の中心は、たまたま宇宙の中心と一致しているので、物が勝手に地表から離れることはない」と考えた。

 紀元前3世紀頃の学者エラトステネスは、地球の大きさを誤差2%の正確さで測定した。エジプト南部のシエネという町に、夏至の日の正午にだけ太陽の光が底に届く、とても深い井戸があった。このときの太陽光の角度は90°だが、そこから数百km離れたアレクサンドリアでは82.8°だった。この角度の差を利用して、地球の円周を求めることができた。こうして、特別な道具がなくても人間の頭脳を使えば、地球のようなものでも、大きさを測れることが明らかになった。

 地球の大きさが分かると、月までの距離や直径も知ることができるようになった。月食の時、月面にうつる地球の影の大きさから判断して、直径は地球の4分の1、3200kmと考えられた。また、月に向かって親指を立てて腕を伸ばし、爪と月の大きさをくらべれば、月までの距離がわかる。もし、月が1cmの爪と同じ大きさに見えて、腕の長さが100cmなら、月までの距離は3200kmの100倍で32万kmということになる。

 月までの距離をもとに、太陽までの距離を算出したのは、ほぼ同じ時代のアリスタルコス。彼は、他の多くの学者と違って、太陽が宇宙の中心に違いないと考えていた人のひとりだったが、半月のときは地球ー月ー太陽が直角三角形を描いているはずで、月と太陽の角度によって距離を知ることができると考えた。測定するとその角度は87度で、太陽までは約640万kmという結果を得た。

 ただし現在の測定では、89.85度で月までの距離の400倍であることがわかっている。

 太陽中心の宇宙を考えた最初の人は、紀元前5世紀、古代ギリシアの哲学者ピロラオスだと言われている。彼のアイデアを受け継いだヘラクレイデスやアリスタルコスが、これをさらに発展させ、「地球は太陽のまわりを勢いよく回っている」「さらに、自分の軸を中心にしてコマのように24時間で一回転している」と、現在から見ても非常に正確な宇宙の姿を描いた。しかし、彼らの「太陽中心説」は当時の人々にとって、あまりに非常識な考えだった。

 「大地が勢いよく動いているなら、強風が吹きつけるはずだ」「人や物は、立っていられず地面に転げてしまうのではないか?」「もし、太陽が中心なら太陽に向かって物が落ちるはずだ」などの疑問が投げかけられた。


「宇宙創生」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


    


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