2018年3月11日日曜日

⑭ ローマ帝国(4) 帝国の分裂

《 概 略 》
◯ 初代皇帝アウグストゥス(在位 前27年〜14年)
 初代皇帝アウグストゥスは、独裁者としての権力でなく市民からの敬愛によって統治したいと考えた。それが、ローマの古くからの理想像であり、養父シーザーの暗殺から学んだ点でもあった。
 求められるのは武勲、家柄、品格である。二人の部下、名将アグリッパと広報担当マエケナスの働きとともに、大神祇官の地位を得ることで「神々の威光」も手に入れ、共和制をよそおいながら実質的な独裁統治者となった。

◯ 暴君と5賢帝(14年〜235年)
 以後、皇帝による統治が続いたが、その中には、3代皇帝カリグラや5代皇帝ネロのように暴君として名を残す者も現れた。一方、十二代ネルファ帝から十六代マルクス・アウレリウス帝までは5賢帝と呼ばれ、政情が安定し、ローマ人にとってもっとも幸福な時代と言われている。

《「テルマエロマエ」
 五賢帝のひとり、ハドリアヌス帝(117年~138年)の治世は、ローマの最盛期ともいえる時代である。それまでの拡大政策が転換され、国境の安定化や属州も含めて環境整備工事が進められた。
 巨大な議事堂や神殿とともに、斬新なデザインの建物が立ち並ぶ建築ラッシュの中で、浴場技師のルシウスは流行になじめず、失業の危機を迎えていた。憂さ晴らしに入った浴場で奇妙な穴に吸い込まれ、現代の日本にタイムスリップしてしまう。
 銭湯を手始めにユニットバスや露天風呂など、タイムスリップをくり返しながら現代の様々な風呂を体験し、それをローマでの設計に活かしてしだいに名声を得る。フルーツ牛乳は、蜂蜜と果実で味つけした牛乳を地下水で冷やして再現した。奴隷がパイプに息を吹き込んで泡を出すジャグジーや、水に浸した海綿のかわりに噴水でお尻を洗浄するトイレなどは、皇帝からも絶賛される。

 皇帝から、後継者ケイオニウスのための大浴場建造を依頼されるが、信念を曲げてまで仕事をしたくないルシウスは、決死の覚悟でこれを断る。一方、マンガ家志望で温泉旅館の娘、山越真美。何度か出会いをくり返すうちに、ルシウスに好意を抱くようになっていたが、今度は彼女が古代ローマにタイムスリップしてしまった。

 ルシウスと真美は、ドナウ川北岸で蛮族を相手に苦戦するハドリアヌス帝のために、戦地での温泉づくりを計画する。同じようにタイムスリップしてきた、父や常連客の仲間たちとも力を合わせ、荒野に温泉をつくることができるだろうか?皇帝を助けるだけでなく歴史の歪みも修整できるはずなのだが・・・。
テルマエ・ロマエ〜小説版〜(伊豆平成 KCG文庫)より

プトレマイオスの「アルマゲスト」
 西暦150年頃、アレクサンドリアの天文学者プトレマイオスが、後に「アルマゲスト」として知られる天文学書を公刊した。天動説の最も権威ある書物として、1500年の間、全世界の天文学に影響を与えた。

◯ 軍人皇帝の時代(235年〜284年)
 しかし、十七代コモンドゥス帝の頃から軍隊の横暴が目立ちはじめ、暗殺と粛正が頻発するようになった。そして、二十四代アレクサンデル帝が軍に殺害されて以後は、軍人皇帝の時代と呼ばれ、およそ50年の間に70人の皇帝が出現した。正統と見なされる皇帝は26人で、各地の有力者が勝手に名乗った皇帝が残りの大部分だった。

◯ 帝国の分裂
395年、分割時の東西ローマ帝国
 この半世紀にわたる混乱を鎮めたのが、ディオクレティアヌス帝で、暗殺防止や国境防衛の観点から293年に帝国を東西に2分し、それぞれに正帝と副帝を据える分割統治を考案した。
 政情の安定も束の間。彼の死後、東西の正帝に副帝を加えた4人による内乱がはじまり、戦いを制したコンスタンティヌス帝は324年に再び帝国を統一した。
 この後も、蛮族の侵入や後継者争いを防ぐために、何度か分割統治が行われたが、395年にテオドシウスⅠ世が死去し、息子のアルカディウスとホノリウスが分割統治者となってからは、東西の帝国が再び統一されることはなかった。



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