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「聖餐城(せいさんじょう)」皆川博子 著、光文社は、17世紀の神聖ローマ帝国(現在のドイツ連邦共和国)を舞台に、伝説の謎に挑むユダヤ人の少年と傭兵(ようへい)として身を立てようとする少年の友情を中心に、戦争の惨禍を描いた小説。そのあらすじを紹介している。今回は、その4回目
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ヴァレンシュタインが、再び軍の総指揮権を与えられ、出陣を決意すると多くの将軍や傭兵を従えた隊長たちが続々と参集してきた。出兵を目前にしてアディは、ユーディトに宛てた手紙を父親に託した。「掟を変えるなど不可能だ。何年かかるか分からない。白髪になった娘を、あんたは迎えに来ると言うのか」と言いながらも、手紙を内ポケットにしまってくれた。
ヴァレンシュタイン軍が出撃の準備をしている間に、スウェーデン軍はバイエルン領に侵入した。傭兵たちが領内を荒らしまわり、カトリックの司祭や修道士は拷問を受け虐殺された。さらに、ウィーンの手前まで攻め込んできたが、同盟を結んでいるプロテスタント領主ザクセン侯の裏切りを警戒し、一旦ニュルベルクまで退却した。
ヴァレンシュタインは、兵力の消耗を避けるために、大軍でニュルベルクを包囲し糧道を断った。2ヶ月もすると、スウェーデン軍は日に100人が死亡し、馬もバタバタと倒れるなど困窮した。さらに、川に流されたり路上に放置された死体からペストが発生し、疫病は包囲している皇帝軍にも広がりを見せた。糧食に関しても輸送隊が野盗やプロテスタント軍に襲われるなどして不足するようになり、持久戦は両軍を悲惨な状況の中に追い込んでいった。
アディは、イシュアからペストの予防薬を与えられた。高価な丸薬で、1粒が同じ大きさの金と同額だった。アディは、50粒を一人で服用するように言われにもかかわらず、部下の兵士たちにひと粒ずつ分け与えた。そのため、噂を聞きつけた兵士の一団がイシュアの天幕に押し寄せる騒ぎになった。馬で駆けつけたアディがイシュアを救い出すと、ヴァレンシュタインは、大事な占星術師を傷つけようとした兵士らを許さず、十数人を絞首刑に処した。イシュアは、アディの軽率な判断を責めながらも、救出への礼として望遠鏡を贈った。
長引く包囲戦に決着をつけるために警戒を緩めると、思惑通りスウェーデン軍は市の南門から湧き出し逃走した。しかし、追いかけるヴァレンシュタイン軍の疫病と糧秣の不足も深刻で、道中で発病し置き去りにされる者や自分から軍を脱走する兵士も多く出た。ローゼンミュラー隊のハンスもいつの間にか姿を消した者の一人だった。
皇帝軍からパッペンハイム将軍の率いる1万1千が、ケルン救済のために遠征した。その留守を狙ってスウェーデン軍1万6千が、1万5千のヴァレンシュタイン軍に攻撃を仕掛けてきた。午前8時、濃霧の中での砲撃を合図に始まった会戦は、両軍入り乱れての混戦となった。砲台を据えた風車小屋を守備していたアディは、騎乗して迫るスウェーデン軍の王を発見した。ライフルの照準を定めながら、護衛兵の中にハンスの姿を発見し目を疑った。弾は命中したが、2発目を発射する前に何者かの銃弾が王に止め(とどめ)を刺した。その直後、砲弾が近くに落ちアディは意識を失った。
急遽、引き返したパッペンハイム軍が昼過ぎに到着した。しかし、王を失ったスウェーデン軍の奮起もすさまじく、死闘は夕暮れを迎え決着のつかないまま終結した。猛将パッペンハイムが戦死し、アディも右足首を切断する重傷を負った。なんと、敵王を倒したのは、脱走し寝返ったはずのハンスだった。彼によると「敵の懐に入り、機会を狙っていた」のだそうだ。彼は、この功績により少尉に昇進した。
ヴァレンシュタイン軍の損耗は大きく、スウェーデン軍が撤退したわけでもなかったが、「敵王死す」の報を受けて、凱旋祝賀会がウィーンの宮廷で催された。その翌日、皇帝はプロテスタントの一掃を命じたが、ヴァレンシュタインは「強行策は、彼らの結束を強めるだけ」と反対し、寛大な処置と講和を主張して受け入れなかった。
王を亡くした後も、スウェーデン軍は居座り続けた。それどころか、軍費を回収し傭兵に賃金を支給するためには、さらに占領地を拡大する必要があった。一方、ヴァレンシュタインは、敗退を重ねる皇帝軍から再三にわたって救援を要請されたが、彼はこれを無視し続けるだけでなく、逆にプロテスタント領主の筆頭であるザクセン侯と手を結ぼうと考えていた。さらには、スウェーデンやフランスさえも味方にして、皇帝軍と対決しボヘミアを手に入れることを夢見ていたのだ。
宮廷内でも、ヴァレンシュタイン謀反の噂がささやかれるようになった。業を煮やした皇帝は、スペインのハプスブルク家から王弟を招き、ヴァレンシュタインの指揮権が及ばない軍隊の統帥権を与えた。シムションがこの知らせをもたらすと、ヴァレンシュタインはすさまじい憤怒の表情を浮かべ、ますますボヘミアに執着するようになった。
ヴァレンシュタインは、配下の将軍全員を召集した。宴会の最中に誓約文がまわされ、将軍らは署名していったが、末尾にあったはずの「皇帝陛下が許す限りにおいて」の文言が消されていることに気づいた者が署名を拒むと、将軍たちに動揺が広がった。
シムションも、ヴァレンシュタインの野望に危うさを感じ、皇帝に謀反の企みを伝えることにした。しかし、一足早く寝返っていたピッコロミーニ将軍から、謀反人の一味として処断されてしまう。また、寵愛を受けていたイシュアが、実はずっと以前から皇帝の味方で「星が悪い」と言っては、ヴァレンシュタインの決起を遅らせていたことを知らされた。
シムションは、財産を没収され追放処分となった。頼るところがなくイシュアを訪ねると、家族は無事であるがわかった。脱走のための抜け道として案内された地下道に入ると、イシュアは「出口はある」と言いながら「また私を見捨てようとした」とも言って扉を閉した。シムションが出し抜いて密告し、イシュアを勝ち目のないヴァレンシュタイン側に残そうとしたことを責めているのだった。
ヴァレンシュタイン軍には離反者が相次ぎ、フロリアン隊を含めた千人ほどが残るだけになった。逃亡先のエーガー城で、大歓迎を受けたが、それは油断を誘う罠だった。宴会の最中に、抜刀した守備隊が乱入し、ヴァレンシュタインはじめ多くの将軍が殺害された。
ヴァレンシュタインの所領は没収され、全てボヘミア王のものとなった。イシュアはその財務管理を任され、今は空き家となったシムションの屋敷に居住している。処罰を覚悟していたフロリアン隊は、彼の事前のはからいで難を逃れることができた。
アディが屋敷を訪ねると、「忠実な騎兵の道と刑吏の娘との結婚を両立させるのは無理」「結婚はあきらめろ」と言い、ユーディトが修道院を出て刑吏の男と結婚したことを伝えた。
足首を失ったアディだったが、馬上でなら不自由を感じることはなかった。プラハの広場でユーディトの兄、ナータンに出会った。彼は、道の端によけ恭しく(うやうやしく)頭を下げたが、騎乗したアディをにらみつけると横を向いて唾をはいた。通りすぎてから振り返り、再び目が合うとまた唾を吐き捨てた。ユーディトが不幸な境遇にあるような気がして、アディの胸が騒いだ。
半年もたたないうちに、ローゼンミュラー隊は皇子フェルディナントに率いられて出陣した。主戦場となったネルトリンゲンでは、アディの判断が功を奏し、敵の同士討ちによって戦闘が開始された。皇帝軍優位のまま、戦いは7時間後にようやく決着がついた。スウェーデン軍は、1万7千の戦死者を出して潰走。この大勝利によって皇帝の勢威が高まると、新教同盟の盟主ザクセン侯も和議に応じることになった。皇帝が「教会領回復令」を撤回すると、新教同盟側も諸侯による同盟の禁止を受け入れたので、旧教連合・新教同盟ともに解体され、皇帝による帝国の統一が実現した。
戦乱も収まるかに見えたが、スウェーデン軍に手ぶらで帰る気はなかった。フランスもまた、皇帝を嫌う領主からライン河沿いの土地を譲り受けており、さらなる勢力の拡大を狙っていた。宗教上の対立からはじまった内乱は、17年目を迎え鎮まるどころか、ドイツ・スペイン軍にフランス・スウェーデン軍が対抗する国際戦争の様相を示すようになっていた。
終わりのない戦いに、ローゼンミュラー隊内でも全体に疲れが広がっていた。そんな時、兵糧攻めで陥落させたアウスブルクで、ケートヒェンと名乗る娼婦に出会った。ユーディトに似ていると思い確かめると、彼女は否定しながらも「もし本人ならどうする?」と聞いた。アディが「すぐに結婚する」とは言えず「躰を売らなくてもいいようにして、もう少し待ってもらう」と答えると、からかうような口調で「わたしがその女だよ。早く足を洗わせておくれ」と言った。別れてからも何か気にかかるところがあり、それからしばらくの間、彼女に給金の一部を送り続けたが、やがていつの間にか居所がわからなくなった。
翌年の1637年、皇帝が没しフェルディナント3世が即位した。イシュアは、皇帝に貸し付けた金の担保としてかつてのヴァレンシュタイン領を手に入れ、領内の工場やローゼンミュラー隊も彼が所有することになった。
皇帝の支配から解放され、隊は戦場の敵ではなく、村や街を襲う傭兵集団を相手にすることが多くなった。アディも30代の半ばに達し、領内を守備する騎馬中隊長として名を上げるとともに風格を増していた。
しかし、領外では戦闘と掠奪により荒廃がさらに進んでいた。スウェーデン軍が、一夜に100を越える村々を燃え上がらせながらボヘミアに迫ると、アディは再び戦場に呼ばれた。隊を率いて、プラハに近いターボル市の救援に向かい、市壁を砲撃している敵兵千人を撃破した。しかし、それは敵でなくハンスの指揮する皇帝軍の部隊だった。食糧の提供を拒まれ、掠奪目的で砲撃していたのだ。今度ばかりは、ハンスも罪を逃れることはできなかった。彼が処刑されるとき、アディは思わず叫び声をあげそうになった。
冬が迫りどこの軍隊も、荒廃した村々から食糧を調達することが困難になってきた。軍事的な決着はつかないまま、スウェーデン軍がボヘミアから撤退すると、プラハでは戦勝祝いの宴が開かれた。
アディは、刑吏の居住区でユーディトの消息を尋ねた。ケートヒェンがユーディト本人だったことを、兄のナータンが教えてくれた。彼女は、幼い頃川で溺れかけ、石工の青年に助けられたことがある。しかし、刑吏の娘にふれたことを責められ、町を追い出されると、行方知れずになってしまった。ユーディトが姿を隠したのは、アディを同じ目に合わせないためだ、と聞かされた。
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