「聖餐城(せいさんじょう)」皆川博子 著、光文社は、17世紀の神聖ローマ帝国(現在のドイツ連邦共和国)を舞台に、伝説の謎に挑むユダヤ人の少年と傭兵(ようへい)として身を立てようとする少年の友情を中心に、戦争の惨禍を描いた小説。そのあらすじを紹介している。今回は、その最終回
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地下道に閉じ込められたシムションだったが、イシュアの「出口はある」という言葉に嘘はなかった。暗闇の中を10日ほど這い回りようやく脱出すると、まず息子の元に身を寄せた。しかし「長くはかくまえない」と言われ、オランダに住む弟のバアルを頼ることにした。
バアルの居館はアムステルダムにある。裕福なユダヤ人が多く生活しており、貿易・商業・金融の中心地として繁栄していた。イギリスの東インド会社に対抗して設立された「連合オランダ東インド会社」は世界初の株式会社だった。シムションはここで、やはり世界初の株式取引所を開設した。この地で長年築いてきたバアルの信用が、投機を職業的に扱うことを可能にした。株取引に金融業も加えて、シムションは水を得た魚のように稼いだ。家族を呼び寄せたいと考えたが、戦乱の中、旅をさせるには危険な状況がまだ続いていた。
1640年、皇帝が和平の道を探るために、諸侯を招集すると、開催地のレーゲンスブルクにスウェーデン軍とフランス軍が接近し、対岸から500発の砲撃を加えた。イシュアは、ローゼンミュラー隊を派遣することで、また様々な特権を手に入れた。帝国議会は、諸侯の利害が入り乱れ混乱するばかりだったが、スウェーデン軍の総指揮官が病死したことで、束の間の平和が訪れた。
帰還したアディは、イシュアから「引退して姿を消すつもりだ」と告げられた。すでに白髪でずいぶん老けて見えるが、年齢は二人ともほぼ同じ37歳くらいだ。「シムション兄への復讐を果たし、金儲けにも興味がなくなった。兄がオランダではじめた新しい取引法には、これまでのやり方では太刀打ちできない」「もし、兄をまた追い出す者がいるとすれば、それはもう王や皇帝ではない。仲間であり競争相手のユダヤ人だ」そこまで言うと、アディをプラハ城につれて行き、北翼棟に案内した。
イシュアは、この北翼棟へ自由に入る権利を得るために、高い代償を支払った。その中には、ローゼンミュラー隊が皇帝軍とともに、あと一回だけ戦闘に加わることも含まれていた。北翼棟とは、芸術と学問に傾倒した皇帝、ルドルフ2世が建設した宝物殿で、その中は彼の夥しい(おびただしい)コレクションで埋め尽くされていた。
果物や野菜が集まって顔になった肖像画など、奇妙な収蔵品に囲まれてアディは胸が苦しくなったが、イシュアにとってここは、心地よい場所だった。この中に籠り(こもり)「青銅の首の秘密を解いて、神秘の力を得るつもりだ」と打ち明けた。
スウェーデン軍の新司令官が兵7千とともに上陸し、進撃を開始した。緒戦は皇帝軍が勝利し、逃げるスウェーデン軍を、走り追撃する先頭にローゼンミュラー隊が立たされた。しかし、スウェーデン軍が陣を敷いたブライテンフェルトにあと数キロまで迫ったところで、突然に最後尾につけとの命令を受けた。
東進する皇帝軍を、かき分け逆行しながら、今度は西へ走った。邪魔だと怒鳴られたり、反乱軍と間違えられたりして、ようやく最左翼に達したところで敵の猛攻を受けた。ローゼンミュラー隊には、弾込めをする間もなかった。ダーフィト隊長が瀕死の重傷を負い、アディは愛馬を失った。スウェーデン軍は、そのままの勢いで皇帝軍の側面を突き、3時間後に決着がついた。
将兵1万と大砲56門を失い、皇帝軍はボヘミアのラコニッツ城まで退却した。アディとフロリアンが、ダーフィトの枕元で容態を見守っていると軍事法廷から呼び出しを受けた。告発したのは総司令官レオポルト大公で、敗戦の責任はすべてローゼンミュラー隊にあるとし、将校全員の死刑を宣告した。
隊が戦わずに逃走したと証言する者がおり、将軍ピッコロミーニもその一人だった。重態のまま引き出されていたダーフィトは、抗弁しようとしてそのまま絶命した。アディは、ターボル市を救った功績によって刑を許されそうになったが、反発し断った。
翌朝、若い大公は、敗戦の怒りにまかせて下した判決を悔やんでいたが、もう訂正はできない。アディの目の前でフロリアンが斬首された。思わず叫び、かけ寄ろうとして取り押さえられた。斧の血を洗う刑吏の姿を見て、頭では理解しながら憎しみを覚えた。
自分も、隊長のように立ったまま殺されようと考えているとき、刑場から大公の居室につれて行かれた。縛られたまま襲いかかろうとして取り押さえられ、イシュアの来ていることに気づいた。差し出された杯を、毒杯と思い迷わず飲み干すと意識が途切れた。
目覚めたのは、イシュアの馬車の中だった。大公の体面を傷つけず救い出すには、この方法しかなかったと言って、暴れようとするアディをなだめた。さらに、残りの隊員たちにも恩赦の与えられたことを教えた。ローゼンミュラー隊の生き残った面々は、再び集結しローゼンブルクで新たな志願者を募ると、かつてと同じように訓練の毎日を過ごし始めた。アディには、フロリアンの遺児である幼い2人の教育が生きがいになり始めていた。
シムションがアムステルダムに移ってから8年が経過していた。その間、オランダの発展は目覚ましく、事業も順調に拡大した。そこへ、イシュアと息子のザミュエルが現れ「戦争は、まもなく終わる」という情報をもたらした。真に受けたシムションは、投機商品を売りに出し、抜けがけしようとしたが、事実は逆だった。そのため参事会から「悪意をもって騙そうとした」と疑われ信用を失ってしまう。イシュアの復讐は、まだ続いているのだろうか。弟のバアルは、この件で逆に信用を増し、シムションにロンドンへの進出を勧めた。
当時のイングランドでは、ユダヤ人の定住が禁じられていた。しかし、3年前から内戦状態にあり、規制は厳しくなかった。ロンドンは、シムションの目に黒ずんで見えた。乞食が多く、廃兵のうろつく煤けた街だった。ユダヤ人であることを隠して、肉屋の2階に部屋を借り、議会派軍の副司令官クロムウェルに軍資金の提供を申し出た。彼への投資がイシュアの案だと知り、罠かも知れないと警戒したが「ユダヤ人の利益のために違いない」とバアルに説得され思い直した。
王立取引所に参入する許可と引き換えに、アムステルダムから武器を満載した船が着くと、クロムウェルは「これなら戦える」と言った。その言葉通りに、クロムウェルの鉄騎隊が国王軍を破り、内戦は終結した。
シムションは、広い邸宅に移ることを許され、アムステルダムから家族を呼び寄せた。家族に囲まれ、王立取引所がユダヤ人であふれる光景を夢想している時、卒中で倒れた。意識は戻ったものの、不自由になったからだを長女に介抱されながら「国王が裁判にかけられる」という衝撃的な知らせを聞いた。ヴァレンシュタインのできなかったことを、クロムウェルはやり遂げた、と思った。
講和会議がヴァストファーレンで開かれているにもかかわらず、スウェーデン軍がデンマークからまたも南進しブルーノを包囲した。会議が終わるまでに、奪えるだけ奪っておく腹づもりのようだった。フロリアンの遺志を継ぐローゼンミュラー隊の面々が出兵を望むと、イシュアは、数ヶ月持ちこたえればスウェーデン軍は食糧が不足して撤退すると予言した。
イシュアのことば通りにスウェーデン軍は引き上げたが、その別動態がボヘミアに侵攻してきた。プラハ市長から防衛隊の総指揮官を依頼されたアディは、交換条件として、プラハ市の刑吏に市民権を与えることを求めた。市長は苦慮したが、ハンブルクでの故事を思い出し参事会を説得すると約束した。
このとき、市長の携えてきたイシュアからの手紙で、青銅の首が完成したことを知った。さらに、シムション兄に抱いていた嫉妬心のことや、衰弱し自分には死期が迫っているということも綴られていた。
昔、ハンブルクで行われたのと同じように、アディは、兄のナータンと助手2名そしてユーディトの頭上で軍旗を3度振った。栄光と名誉の象徴である軍旗には、戦う男のすべての美徳が宿っており穢れを除く力があると信じられていた。取りまく群衆の多くは、不満・不快の表情を浮かべ、ブーイングも聞こえた。戦いに負けて、軍旗の栄光を失うことはできないと思いながら、同時に、フロリアンが処刑されたときの光景が蘇ってきてどうしようもなかった。
その直後、スウェーデン軍の砲撃が始まった。とりあえず、敵の砲手2名をアディが狙撃し沈黙させた。その隙に、こちらの砲を準備しなければならない。市民らが尻込みするなか、ナータンが点火口を指でふさぐ役を買って出た。四分儀を扱える石工のひとりが照準を担当し、学生が砲弾を運んだ。敵兵を満載した船が、対岸から多数漕ぎ出すと、手はず通り油が流され川面が燃え上がった。
2ヶ月後、市民の士気は高く、なまじな傭兵より団結力があった。墓掘り人、夜警など市壁の外に住む者たちも、プラハを守る意思があれば市内に迎え入れられた。女たちといっしょに負傷者の治療にあたるユーディトには、父や兄の仕事から得た、拷問で弱った罪人を再び拷問するために治療するときの知識が役に立った。
3ヶ月が過ぎた頃から、食糧の補給が遅れがちになり、伝書鳩でイシュアの亡くなったことを知った。敵の増援部隊が迫っているとの報告があり、アディらは打って出ることにした。
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プラハの防衛戦もいよいよ最後の山場を迎えたが、以上であらすじの紹介を終えたい。本編には描かれている、アディとユーディトの恋の結末をはじめ、イシュアが完成させたという「青銅の首」の具体的な姿、あるいは、ホムンクルスなのか人間なのかについて、彼自身がどう考えどんな結論を得たのかについても、ここで明らかにすることは控えたいと思う。
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