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「聖餐城(せいさんじょう)」皆川博子 著、光文社は、17世紀の神聖ローマ帝国(現在のドイツ連邦共和国)を舞台に、伝説の謎に挑むユダヤ人の少年と傭兵(ようへい)として身を立てようとする少年の友情を中心に、戦争の惨禍を描いた小説。そのあらすじを紹介している。今回は、その3回目
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ボヘミア王は、無事にヴァストファーレンまで逃げのびることができた。が、反乱を首謀した貴族ら27人が処刑され、加担した多くのプロテスタント貴族は領地を没収された。刑場での斬首は、ユーディットの父親が執行した。警備を担当したアディは、その見事な手並みに感嘆したが、無抵抗のまま殺される者たちを見続けているうちに、意識が遠のき落馬してしまった。市民らに嘲笑され落ち込んでいるとき、イシュアから刑吏の成り立ちを教えられた。
昔は、王や貴族が自分の手で、罪人を処刑していたが、そのころは当然、刑の執行者が蔑まれることはなかった。この百年か二百年の間に、刑吏の職と身分が固定され、卑しい身分とされた。刑を命じる裁判官は偉いのに、執行する者がなぜ軽蔑されるのかは博識のイシュアにも分からなかった。
いずれにしても、市門を閉ざす合図の鐘を聞くたびに、走り出てユーディトに会いたくなる気持ちは、日ごとに強くなっていった。ある夜、アディは欲望に負けて持ち場を離れ、ユーディトの家を尋ねた。そのことを、はっきりと思い出せないのは、無断で任務を放棄した自分を恥じる気持ちと、ユーディトの父親に勧められたお茶を飲んだせいだった。父親は、若い2人が思いを遂げることを一度だけ許し、後は別々の道を生きるように仕向けた。意識を失ったアディが翌朝目覚めた時、いつ自分が市門の外から内側に戻ったのかわからず、昨夜の記憶もあいまいになっていた。
皇帝に多額の軍資金を用立てた功績で地位を高めたヴァレンシュタインは、皇帝が敗戦貴族から没収した土地を買い取って領地を広げると、それからしばらくは所領の発展に専念した。新教徒軍と皇帝軍の新たな衝突がおきた時も出兵はせずに、領内の教育や医療、貧民救済、食糧の備蓄倉庫、武器や布製品工場の建設などの施策に精を出していた。シムションは、これらの新規事業を発案し軌道に乗せるために日々奔走した。多忙な兄に代わって、イシュアがドン・ジュリオの書物を譲り受け、錬金術とホムンクルスの研究を続けた。
新教徒軍が敗北を重ね、ハプスブルク家の勢力が拡大したことで、危機感を抱いたフランスの宰相リシュリューは、オランダ、イギリス、デンマーク、スウェーデンと友好条約を結び、さらにはドイツ北部のプロテスタント諸侯も買収して、ハプスブルク包囲網を築いた。
6月に雪の降る異常気象の年、侵攻の機会をうかがっていたデンマーク軍が動き出すと、ヴァレンシュタインも出兵を決意した。皇帝軍4万のうち、ヴァレンシュタイン軍は2万4千。通過する都市から徴収した軍税を、傭兵の賃金にあてた。取り立てられる都市には大きな負担となるが、掠奪や殺戮を受けるよりはましだった。一方、同じ皇帝軍でもティリー軍にはそのシステムがなく、通過する土地を食いつぶし、廃墟にしながら進軍するしかなかった。
北海に注ぐ大河、エルベ河の河畔では、ローゼンミュラー隊が機動力を生かして背後から敵軍を攻め大勝利を収めた。デンマーク軍は、将軍の多くと大砲20門を失い、孤立した。傭兵たちにも、身の危険を感じると脱走し、皇帝軍に寝返る者が多かった。
ヴァレンシュタインは、帝国の北部一帯を占領し軍税や免除税を徴収した。それを資金源にして兵力を拡大し、軍勢は15万にまで膨れ上がった。北方全域が、多額の徴収金や傭兵の暴虐によって荒廃する中で、彼の所領となったメクレンブルクだけは、武器弾薬の工場や衣料工場、あるいは醸造所や製パン工場から製品が次々に生み出され、それを輸送するための道路網も整備される等、周辺の戦乱が嘘のように、活気に満ちていた。
イシュアは、ケプラーに占星術の手ほどきを受け、今では占い好きのヴァレンシュタインから、シムション以上に信頼されるようになっていた。ただし、ケプラー自身が占星術を「天文学の愚かな娘」と呼んでいたので、イシュアがどの程度占いの結果を信用していたかは不明だ。その占星術によると、ヴァレンシュタインの運勢には翳(かげ)りが見えるのだそうだ。
また、兄に対しては、自分を見捨てた裏切りが許せず、「ユダヤ民族のため」は口実で自分の野心のために戦火を拡大している。と、批判的だった。その、兄から研究を引きついだ「青銅の首」については、機巧の核心に迫りつつあるようだった。
唯一の友人アディには、彼のユーディトへの態度を、不誠実だと言って責める一方で、警吏の市民権を認めているブラウンシュヴァイク市の例を出し、掟を変える方法は出世することだと教えた。
イシュアが占いで予言したように、ヴァレンシュタインの強運にも転換期が訪れた。皇帝が「教会領回復令」を発したのだ。それは、プロテスタントの教会や修道院の所領を77年前の昔に戻しカトリック領にする、というものでプロテスタント諸侯からはもちろん、ハプスブルク家やヴァレンシュタインの台頭に反感を持つカトリック連盟の諸侯からも反対された。次の皇帝選挙で票の欲しい皇帝は、諸侯らの要求に従い、ヴァレンシュタインを皇帝軍の総司令官から解任した。
一方、信仰の自由を大義名分にして介入の機会を伺っていたスウェーデンは、同盟国フランスからの支援を受けながら進撃を開始した。皇帝側からは、新たに総司令官に就任したティーリー将軍が大軍を率いて迎え撃った。しかし、ヴァレンシュタインから物資の供給を得られないため、食料不足に悩まされ、戦術面でも大規模で重厚な陣形が時代遅れになりつつあった。
アディは出兵が決まると、ユーディトの住まいを訪ねた。中隊長に昇進したことと、「出世して、世の中の掟を変える」という決意を伝えたかったのだが、彼女はすでに修道院に入ってしまった後だった。
ライプツィヒの北方6kmにある広野で、ティリー軍とスウェーデン・ザクセン連合軍が衝突した。ヴァレンシュタインは出兵せず、訓練の成果を確認する目的でローゼンミュラー隊だけが戦闘に加わった。ローゼンミュラー隊の損傷はわずかだったが、スウェーデン軍のよく訓練された常備兵と小火器を活用した戦術に、ティリー軍は大きな打撃を受け敗走した。
それでも、ヴァレンシュタインは「深くまで進撃し本国から遠ざかれば、補給が間に合わなくなる」「8万に膨れあがった軍勢も、その多くは傭兵だ。戦況が不利になれば、すぐにまた逃亡してこちらに加わる」と楽観していた。彼の自信を裏付けるように、領国フリートラントでは、工場から武器・弾薬や衣服が次々に作り出され、倉庫には食糧が十分に蓄えられていた。
彼は、出兵をしぶることで、皇帝から十分な見返りを引き出そうと考えていた。中でも一番の望みは、今のボヘミア王に替わって、自分がその領主になることだった。しかし、皇帝の嫡子であるボヘミア王の廃位を望むことは、謀反にほかならない。そのため、これは信頼できる者だけに明かされた極秘事項だった。
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