2022年8月25日木曜日

「黒のトイフェル(悪魔)」ー 司教都市ケルン ー

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目 次    

 「黒のトイフェル」 フランク・シェッツィング著 北川和代 訳 早川書房


 ケルンは、現在のドイツにある4番目に大きな都市。中世からルネッサンス期にかけては、神聖ローマ帝国で最大の商業都市として繁栄した。この町を境にして、ライン川の流速が変わるので、大型の交易船は荷を一旦陸にあげ、小型船に積み替えてから上流を目指した。

 地の利に加えて、ケルン大司教のコンラートが、この町を通過する品物はすべて、3日の間市内で販売しなくてはいけない。また、それを買うことができるのはケルン市民だけと定めたので、町にはいつも新鮮な魚介類や良質のブドウ酒が供給され、交易による利益も莫大なものになっていた。


 ただし、市民のすべてが裕福というわけではなく、ヤコブのような、宿なしの若者もいた。ケルンの周囲は、富を外敵から守るための市壁で囲まれている。彼は、その一角を寝ぐらにして、市場で食べ物をくすねてはその日ぐらしを続けていた。

画像の作成に、Canon  Creative Parkの
ドイツ ケルン大聖堂 ミニを使用しました

 ある日の夕方、司教のリンゴ園に目をつけ木に登っているときに、建設途中の大聖堂から人が突き落とされるのを見た。ヤコブがかけ寄ると、瀕死の男は「それは間違いだ」と言い残して息絶えた。周りに人影はなく、犯人だけがヤコブめがけて、スルスルと足場を降りてきていた。滑らかな身のこなしと、長髪で黒づくめの服装を見て、ヤコブは悪魔に違いないと思った。


 もちろん、黒づくめの男は悪魔ではない。しかし、この時代の人々にとって、悪魔は身近な存在だった。隣町では、醸造所の親方が、魔法を使った罪で火炙りにされたし、ヤコブの行きつけの店は、黒猫が戸口から出ていっただけで、告訴される騒ぎになっていた。

 ヤコブも、さっそく友人の物乞いと娼婦の2人に、先ほど見た悪魔のことを話していたが、その悪魔がすぐ近くにまで迫っていることには気づかなかった。ヤコブの燃えるような赤毛は、犯人にとって見失う心配のないかっこうの目印だった。

 悪魔のように冷徹な犯人は、ためらうことなく友人2人の命を奪った。かろうじて襲撃を避けることのできたヤコブだったが、執拗に後を追われ、ようやく逃げ切れたと思えたときには、肩の関節がはずれびしょ濡れになっていた。脱臼は逃げる途中で壁に激突したせいで、ずぶ濡れなのは、逃げ込んだ教会で悪魔よけに聖水をかぶったからだった。


 肩の激痛に耐えかね、前日に知り合ったばかりの娘、リヒモディスに助けを求めた。すると彼女は親切にも、親戚の医師ヤスパーの家に案内してくれた。治療が終わり、ヤコブが落ち着きを取り戻すと、皆は見ず知らずの青年の身の上を知りたがった。

 ヤコブは農夫の子として生まれた。しかし、正確な年齢は自分でもはっきりしない。3・4歳の頃、母とケルンの町でフリードリッヒ2世に嫁ぐイングランド王女イザベラの花嫁行列を見物したことは覚えている。その日、町からの帰りが遅くなったせいで、母は父にひどく殴られ、その数日後に亡くなった。事故や疫病で兄弟たちも次々に亡くなり、家族は父と兄とヤコブの3人だけになった。村の子どもたちは、ヤコブの父が子どもを魔法で豚に変えていると噂し、彼の赤毛がその証拠だと言って石を投げつけた。

 そんなある日、農作業ばかりの毎日に嫌気がさして、家出をした。広い世界を見たいと思ったが、夕方になると腹がすいて結局戻ることにした。ところが帰り着いて見ると、家出の間に火災が起きたらしく、焼け跡には黒焦げになった父と兄が横たわっていた。

 そのまま、逃げるようにして村を離れ、たまたま出会った旅音楽師のブラム爺さんについて、あちこちを巡った。やがて爺さんも亡くなったので、ケルンの町に住み着くようになったのだ。そして、ゆうべ悪魔に追われて怪我をしたことも隠さず話した。


 医師だけでなく、首席司祭でもあるヤスパーは、ヤコブの話を聞いて半信半疑だった。正直で記憶もしっかりしているが、考える習慣に乏しく、ものごとを見た目だけで判断しがちだと感じた。そこでヤコブに、逃げ回るのを止めて、まずは悪魔の正体を探ってはどうかと勧めた。

 大聖堂の足場から突き落とされたのは、建築監督のゲーアハルトだった。葬儀会場で、彼の落ちるところを見たという2人の修道士が、声高にその時のようすを伝えていた。市の裁判官を兼ねている参審人の前でも証言したそうだ。

 転落の現場には誰もいなかったはずなのに、なぜ目撃者がいるのか。ヤコブは、ヤスパーの助言を得て、彼らが金で雇われたニセの証人であることに気づいた。

 さらにヤスパーは、周到にニセの証人を用意し買収のための金の出どころとなっている黒幕が、犯人の背後にいると考えた。


 神聖ローマ帝国では、皇帝が国全体を統治しているのではない。各地域に領主がおり、それぞれが自分の所有する土地を支配している。彼らは諸侯と呼ばれ、皇帝も諸侯の選挙によって選出されていた。

 また、教会も寄進などによって得た領地を持っており、司教や大司教にも領主と同じ権限があった。ケルンもそのような司教都市のひとつで、広大な領地を所有していた。ただし、司教の地位は世襲ではないので、歴代司教の中には市民によって追放された者もいた。

 大司教コンラートと貴族・市民の関係も、始めは良好だったが、互いの力が大きくなるにつれて、相手の支配力が邪魔になり始めた。特に、野心家の大司教が、昨年、市長や参審人の職から多くの貴族を追い出し、代わりに手工業者や商人などを登用してからは、貴族と一般市民あるいは大司教との間で、暴力沙汰になるほどの確執が生じていた。


 ヤスパーは、嘘の証言をした2人の情報を得るために、新しく参審人に選ばれたポド親方を訪ねた。証人らは旅の修道士で巡礼宿泊所に滞在しているのだそうだ。事情を話したあと「この話は内密に」と念を押したのだが、その重要性を知らない親方が、うっかり「首席司祭ヤスパー」の名前を他の参審人に漏らしてしまったことから、犯人たちに「逃げた赤毛」と他の「真相を知る者たち」の居所が知られてしまった。

 身に危険が迫っていることを知らないままヤスパーは、2人の修道士たちを問い詰め、嘘の証言だったことを認めさせた。さらに、詳しい話を聞き出すつもりだったが、先まわりした犯人によって、この証人たちは殺されてしまう。さらに、男はその足でヤスパーの家に向かい、ドアを叩いた。

 一方、ヤコブとヤスパーは、「男衆」と呼ばれる男達に、町中を追い回されていた。犯人捜査どころではなかったが、「男衆」が有力貴族の配下であることから、事件の黒幕が貴族であることに確信を持った。追手をまいて、ようやく2人が家に戻ると、人の良い下男のロロフが殺されていた。部屋にはその亡骸だけでなく、親切な娘リヒモディスの毛髪も束ねられ残されていた。そして、「女は生きている。沈黙せよ」という、血で記された犯人からの伝言があった。


 ヤコブは、すべて自分の責任だと感じた。貴族相手に勝てるはずがないと怯える一方で、リヒモディスの身を案じあせっていた。

 そんなヤコブにヤスパーは「殺さず人質にしたのは、わし等をおびき寄せるためだ。真相を隠すために、どこまでの殺しが必要か聞き出したいのだ」と言って、慌てる必要のないことを教え。また「貴族だから何でもできると思うのは大間違い」「できないことが多いから人を雇う」と、勇気づけた。

 さらに、伝言に残された文字の書体と、凶器として使われた小型の弩(いしゆみ)から「パリの大学で学んでいる。十字軍に参加したことのある騎士か聖職者に違いない」と推理し、知人の十字軍帰還兵に尋ねると、殺し屋の正体がわかった。

 本名は、アーカート・オブ・モウナリーア侯。元々は篤実な騎士だったが、ルイ王の十字軍に参加し、占領したダミエッタで住民虐殺の場に居合わせてしまった。その時、ルイ王は子どもたちの泣き声を「まるでカモメのさえずりのようだ」と言って面白がったそうだ。蛮行を止められなかった自分を責め、それ以後、善悪の価値観を失い狂気に取りつかれたようになってしまったのだった。

 彼が、正常な心を失ったのは、十字軍での体験が原因と聞いて、ヤコブは自分に似ていると思った。考えることを避け、もの事から逃げ出す癖がついたのは、父と兄を亡くした火事が原因だった。あの時のことを思い出すと、焼け跡の2人にはまだ息があったような気がして、見捨てるようにして逃げ出したことへの後悔に苛まれた。長い間、考えること自体を止めてしまい、自分を見失っていたことに気づいた。


 いよいよ、2人がリヒモディスの救出に向かうべきところですが、あらすじの紹介はここまでにして、この後の展開だけを簡単に紹介したいと思います。

 ヤスパーの導きを受けながら困難に立ち向かうことで、ヤコブはしだいに洞察力を発揮し、貴族側の真の目的に気づきます。そして最後に、それを阻止するためのヤコブ等が奮闘する姿を描いて、物語は終わります。


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