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時がたち代がかわるにつれて、捕われたイスラエルの民もしだいにバビロニアの住人として根をおろしていった。中には、国の重要な役職につく者も現れ、ダニエルは信仰心に厚く知恵にも優れていたため、バビロン王だけでなく後にはペルシャ王からも最高官吏として信頼された。
ペルシャはキュロス2世によって建国された。彼は、小国の王子として生まれたが、反乱によってメディア王国を倒し、さらにはバビロニア王国など周辺の国々を次々に平定して中東地域の支配者となった。
征服した民族や宗教に対して寛大な政策をとり、ユダヤ民族などバビロニアに強制移住させられていた諸民族を解放するとともに、戦勝を神に感謝するとの思いから、紀元前538年「エルサレムの神殿再建」の勅命を発した。
これを受けて故郷を目指すことになったイスラエルの民は、総勢4万2千360人、彼らの使用人7千337人、馬6千720頭、ラバ245頭、ラクダ435頭、ロバ6千720頭であった。帰郷せず住み着いた場所に留まる者もいたが、彼らも財産を送ることで帰郷団を支援した。
紀元前520年、神殿が完成した。さらに、その62年後ペルシャ王がエズラを統治者としてエルサレムに派遣すると、宮廷書記官でありイスラエル教の祭司でもあった彼は、エルサレムの城壁を修復するとともに、モーゼの律法に基づいた施政を復活させた。
西アジアの支配者がペルシャからアレキサンドロスやエジプトに変わっても、ユダヤの民は大国の王たちから、律法にもとづいた独自の生き方を許されてきた。紀元前160年頃になると、シリアの象部隊など周辺国からの侵略を退けながらローマとの同盟関係を維持しつつ、スパルタやエジプトとも友好関係を保つなど、諸大国の狭間で厳格な律法と戦闘力を支えに、ユダ王国として独自の道を歩みはじめた。
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