2024年4月3日水曜日

天気のことわざ

→ 次の関連記事

→ 目 次   

 理科で気象の学習をした中学2年生に、「ことわざ」の問題と解説を考えてもらいました。教師など大人の書いたものや「ことわざ?」と疑問に感じるものもありますが、すべてを4択問題にまとめました。


 全部で25問、正解だと○が表示されます。まちがいをクリックしても、反応しませんが、そのたびごとに減点されるので注意してください。25点満点です。

  4択問題には「Scratch」を使いました。小学生などが学習するプログラミング言語だそうです。ネットに接続できる環境であれば、タブレット端末でも操作することができます。

https://scratch.mit.edu/projects/988631062


今更ながらQRコードを利用すれば良いことに気がつきました。iPadの場合「カメラ」にQRコードを読み取る機能があり、左の図形にレンズを向けると自動的に「リンク先をsafariで開く」旨の表示が出ますので、タッチしてください。

前の関連記事記事一覧→次の関連記事


2023年8月9日水曜日

天文学こと始めⅢ ー①炎色反応と赤方偏移ー

 次の関連記事 →

目 次    →

○ 星は何でできているか(炎色反応と分光学)

 光にはさまざまな色がある。虹が7色に見えるのは有名で、虹のアーチの外側には赤色、内側には紫が配色されている。目に見える光だけでなく、見えない光もある。虹にも、赤色の外側に目には見えない赤外線と呼ばれる光があり、紫色の内側には紫外線がある。

 物質は、高温になると光を発して輝き始めるが、その色は原子の種類によって決まっていることが、1752年にスコットランドの物理学者トマス・メルヴィルによって発見された。これは、炎色反応と呼ばれ、身近な例では花火に様々な色をつけるのに利用されている。

 原子は、加熱されると光を発するようになるが、それだけでなく、発するのと同じ色を吸収する性質のあることもわかった。そこで、物質から出てくる光を色ごとに測定し目に見えない光についても詳しく調べることで、科学者たちは遠くで輝いている星の温度だけでなく、成分も知ることができるようになった。


 この新しい学問、分光学によって太陽は大気の75%が水素であることがわかった。残りの25%を占めている気体はヘリウムと名づけられたが、当時はまだ未知の気体で、地球上で存在が確認されたのは、その25年後だった。

 太陽より遠い星たちについても、次々とその成分が明らかにされていった。それによって、遠くの星も地球と同じようなありふれた元素でできていることがわかった。古代の哲学者たちが考えていたような、地上の物質とは無縁の「第五元素」等ではないことがはっきりした。


○ 宇宙は膨張している( 光のドップラー効果)

 分光学を使うと、天体の温度や成分だけでなく、動いている物体の速さも知ることができる。なぜ光で速さを測れるのだろうか。


 サイレンを鳴らして救急車が走っていると、その音だけで動いている方向を判断できることがある。近づいてくる時はピーポーが高く、通り過ぎると低く聞こえる。これがドップラー効果で、光の場合には色合いが青っぽくなったり、赤っぽくなったりする。それを肉眼で確かめることはできないが、分光器を使うと正確に測ることができ、スピード違反の取り締まりや球速を測るスピードガンなどに利用されている。


 天文学の分野では、相手が遠ざかっているときに赤っぽくなる「赤方偏移」が有名で、その逆の「青方偏移」はあまり聞かない。なぜだろうか。


 1912年にヴェスト・スライファーが初めて、ドップラー効果を使って銀河の速度を測定したときに、15年間をかけて測定した45個の「銀河」のうち、地球に近づいているのは4つだけで、残りの41個は地球から遠ざかっている「赤方偏移」を示した。

 この結果は、当時の天文学者たちを混乱させた。まるで宇宙全体が銀河系を嫌って逃げ出しているように見えたからだ。当時の天文学者が想像していたのは、宇宙空間にバランスよく銀河が分布し、近づくものもあれば遠ざかるものもあるだろうけれども、それらの数はほぼ半々という宇宙の姿だった。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


     


前の関連記事 ← 記事一覧 →  次の関連記事


天文学こと始めⅢ ー②ハッブルと逃げていく銀河ー

 次の関連記事 →

目 次    →

○ 膨張する宇宙

 ハッブルは、ウィルソン山天文台の100インチ望遠鏡を使って、逃げていく銀河の謎に挑むことにした。忍耐力に優れた助手のヒューメイソンと共に2年間で46の銀河を観測することで観測技術を向上させ、さらに工夫を重ねて次の2年間には最初の頃の20倍も遠くにある銀河まで観測できるようになっていた。

 ハッブルの観測でも、すべての銀河は「赤方偏移」を示していた。つまり、地球から遠ざかる方向に運動していたのだ。それだけでなく、銀河の遠ざかる速さが地球からの距離に比例していることもわかり、これは「ハッブルの法則」と呼ばれた。ただし、これは地球の所属する銀河系から他の銀河が一斉に逃げ出しているわけではなくて、すべての銀河どうしが互いの間隔を広げ、遠ざかりつつあることを示している。つまり、どの銀河から宇宙をながめても、宇宙にあるすべての銀河が自分から遠ざかって行くように見えるということだ。


 変化しないと思われていた、時間や空間
も伸び縮みすることを、アインシュタイン
が明らかにした。空間の拡大は風船のふく
らむようすに例えられる。
 風船の表面にある銀河どうしの間隔は広
がっても、その中にある星と星の感覚は、
銀河内部の重力によって、一定に保たれる。

 ハッブル自身は、精度の高い観測に専念し、その結果から推察される宇宙の未来や過去の姿には、あまり関心を払わなかったが、これを宇宙が膨張している証拠と考えた科学者もいた。彼らの考える宇宙の誕生は、まず宇宙の全物質がごく小さな一箇所に押し込められていて、それが爆発的に広がり現在の姿にまで大きくなったというものだった。拡大している銀河の速さから逆算して、その爆発が起きたのは18億年前というふうに計算することもできた。ただし、現在では、爆発(ビッグバン)が起きたのは138.2億年前と考えられている。

 このまま膨張が進むと、宇宙はしだいに密度が小さく希薄になって滅びるとも考えられた。しかし、安定して永遠に続く宇宙を信じている天文学者の方が多く、「遠くの銀河ほど速度が大きいのは、速いから遠くまで行けたのであって当然の結果。宇宙が膨張していることの証拠にはならない」や、「銀河から逃げ出した光は、銀河の重力によってエネルギーを奪われるので赤方偏移を起こす。銀河が遠ざかっているわけではない」などと反論した。

 中でも、宇宙が誕生したはずの18億年前よりも古い、34億年前に形成されたと思える岩石の存在は、頭の痛い問題だった。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


    


前の関連記事 ← 記事一覧 →  次の関連記事


天文学こと始めⅢ ー③ヴァルターと宇宙の年齢ー

   次の関連記事 →

目 次    →

○ 宇宙が誕生したのはいつか?
 宇宙の年齢を知る取り組みは、ハッブルの法則が発表される200年前、18世紀になって本格化した。手がかりとして、最初に選ばれた資料は旧約聖書で、アッシャー大司教の算出した「紀元前4004年10月23日土曜日」がもっとも信頼のおける値とされた。しかし19世紀にダーウィンの進化論が発表されると、進化には膨大な時間が必要なはずだと考える人々を中心に、地球と宇宙の年令を科学的に突き止めようとする活動がはじまった。
 地質学者からは「堆積岩ができるのには数百万年が必要」や「高温でどろどろに融けた地球が冷えるのに2千万年かかる」などの意見が出された。やがて年代測定に放射性崩壊が使われるようになると、地球の年齢は5億年・10億年と、どんどん古くなり、現在では64億年と言われている。

 天文学者として、この問題に取り組んだのはヴァルター・バーデで、第二次世界大戦後にアンドロメダ銀河までの正確な距離を測定しなおした。完成したばかりの200インチ望遠鏡によって、距離を知るための基準であるセファイドに2つのタイプがあることを発見し、アンドロメダ銀河までの距離が実際には、ハッブルの推定した距離の2倍であることがわかった。
 アンドロメダ銀河を基準にして、他の銀河までの距離を推定していたので、この修正により、すべての銀河までの距離が2倍に広がった。そして、宇宙が現在の大きさまで膨張するのに必要な時間も、2倍の36億年ということになった。
 さらに、その2年後にはアラン・サンディッジが、星のように輝く水素ガスの広がりを発見したことで、銀河との距離はさらに広がった。それにともなって、宇宙の年齢も増え100億から200億年の間となった。ずいぶんと幅はあるが、ともかくこれで宇宙の年齢より古い岩石の問題は解決した。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。


   
  


前の関連記事 ← 記事一覧 →  次の関連記事


天文学こと始めⅢ ー④ガモフとビッグバン理論ー

  次の関連記事 →

目 次    →

○ 原子の誕生と宇宙背景放射
 ウクライナ出身の物理学者ジョージ・ガモフは、共産主義のイデオロギーによって研究が左右されるのを嫌い、亡命を図った。1回目は、妻とカヤックで黒海を渡ろうとして失敗した。そこで2回目は、物理学者の国際会議を利用してそのまま帰国せず、2人でアメリカに渡った。
 ジョージ・ワシントン大学の教授になると、学生だったラルフ・アルファらと共に、宇宙で最初の原子が誕生した過程を明らかにしようとした。

 水素原子からヘリウム原子のできる核融合反応が、太陽の内部で起きていることがすでに知られており、ガモフらも宇宙で最初にできた原子は軽くて構造が簡単な水素で、それが互いに融合して重い元素に変わったと考えた。
 しかし、太陽内部の反応では水素とヘリウムの割合が、現在の宇宙と同じになるまでに270億年もかかることが分かり、ヘリウムをもっと速く生成させるために、ビッグバンによる核融合反応も合わせて計算することにした。
 数学がにがてなガモフに代わって、アルファが膨大なこみいった計算に取り組んだ。その結果、ビッグバンの環境だと300秒あれば、水素とヘリウムの比率が現在の宇宙と同じになることが分かった。
 1948年に発表されたこの論文はアルファ・ベータ・ガンマ論文と呼ばれ、新聞にも「世界は5分で始まった」と大々的に取り上げられた。「ベータ」はガモフの友人で有名な原子物理学者ハンス・ベーテで、この研究には無関係だったが、著者名にアルファ、ベーテ、ガモフと並んだ方がアルファ(α)、ベータ(β)、ガンマ(γ)を連想させて面白いという、ガモフのイタズラ心から共著者に加えられた。
 ヘリウムより重い原子の生成についても、解明をこころみたが、最初の300秒を過ぎると温度が下がるので核融合は起きそうになかった。重い元素の合成が袋小路に入ったまま、彼らは別の側面からビッグバンの検討をしていくことにした。

 アルファは、新たに加わった同僚のロバート・ハーマンと共に、初期宇宙のようすを次のようにまとめた。
①ごく初期の宇宙は、莫大な量のエネルギーに満ちていた。このときはまだ、物質の進化は起きなかった。
②その直後の数分間が、アルファ・ベータ・ガンマ論文で扱った時代で、適度な高温・高圧の環境になり水素やヘリウムなどの軽い原子核が作られた。
③軽い原子核が生成されると宇宙の温度が100万度にまで下がり、核融合は起きなくなったがすべての物質はまだプラズマの状態だった。プラズマとは電子が原子核を離れてとびまわっている状態で、そのとき存在していた光は霧に包まれたようになって空間を進むことはできなかった。
④30万年が過ぎると、宇宙の温度が3千度にまで下がり、電子と原子核が結合した。つまり、プラズマ状態から安定した原子の状態にかわった。
⑤とびまわっていた電子が空間からいなくなり、電子の霧が晴れたので、光が宇宙空間を進めるようになった。
 ここで2人は、⑤の光は、今も宇宙を突き進んでいるはずだと気づいた。そして、現在では赤方偏移によって波長が1mmに伸び、マイクロ波になっているだろうと予測した。

 ガモフ、アルファー、ハーマンの3人は、ビッグバンが実際に起きたことの証明として、マイクロ波を探してくれる研究者を探した。それは、宇宙のあらゆる方角から検出されるはずだった。しかし、技術的な難しさに加えてビッグバン説に対しても懐疑的な研究者が多く協力は得られなかった。あちこちを訪ねては説得を試みたが、5年後、3人はついにあきらめて別の研究分野へと移った。これには、ガモフの冗談好きが災いしたかも知れない。彼はハーマンにデルタ(Δ)と改名するように迫っていたそうだ。

「宇宙創成」サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社を参考にしています。