2017年4月30日日曜日

思いどおりにならないこともある

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 初心者ながら、居合の練習をしている。その試合が有った日の懇親会で耳にした話。

 有田陶器市が4月29日からゴールデンウィークの間、開催されているそうだ。「自分は開催日の前日に行く」という人がいた。すでに展示はされていて、買うこともできる。「早いもの勝ち」なのだそうだ。
 彼の狙いは「試作品」で、お客さんの反応を見るために出品されており、人気が高ければ大量につくられるが、そうでなかったときは「一品モノ」になるので、自分で「いいな」と思えるものなら「値打ちもの」。とのことだった。
 ご自宅に窯があり、自分でつくることも趣味にしているそうだが「同じようにこしらえても焼くときの置き場所のちがいだけで仕上がりが違う」という話も興味深かった。品質管理された工業製品に囲まれている私などは、同じように手を加えれば同じ仕上がりになって当たり前、という感覚に慣れすぎていると感じた。

 また、「今日、仮想敵が見えた」と言う人もいた。ただ形どおりに刀を振るのではなく、実際に斬りかかってくる敵がいるつもりでやりなさい、と指導されるのだがなかなかできるものではない。ところが彼はこの日、全部で25本抜いたうちの2本で、ありありと敵の姿を感じたというのだ。5年以上居合をやってきて、始めての体験だそうだ。

 入賞した彼にあやかりたいと思うが、自分にその兆しはない。前回の講習会でもたくさん注意を受けて、唯一ほめられたのは「お元気ですね」だった。


2017年4月27日木曜日

④ イスラエル王国

《 イスラエル王国 》
 周辺の部族を攻め滅ぼしながら、イスラエル軍はついにカナンの地に入った。モーゼの後継者となったヨシュアは厳しく軍紀を保ち、エリコをはじめ全部で31の国を滅ぼした。彼の死後も領土の拡大は続けられたが、しだいに内部からの堕落が目につくようになりはじめ、ついには異教の神を奉る者まで現れた。

 このころのイスラエルには、まだ国としての基盤がなく、道具を作る技術もなかった。そのため、鋳造による剣を敵国のペリシテから手に入れているようなありさまだった。ペリシテやアンモンなど周辺の国々から攻められ、時には支配されることもあったが、歴代の王や英雄の獅子奮迅のはたらきによってなんとか苦境をしのいできた。中でも身の丈3mの巨人ゴリアテを倒したことで有名な、ダビデは連戦連勝で、ついにはイスラエル全域を支配するに至った。古代イスラエル王国はヘブライ王国とも呼ばれる。ヘブライとは「川の向こうから来た人」の意味である。

 イスラエルの民がエジプトを出てから470年、ダビデの子ソロモンの時代に王国は栄華を極めた。およそ、紀元前 千年頃のことである。ソロモンの知恵と富は広く知れ渡り、王に拝謁を求める客が世界中からエルサレムに集まった。中でも「シバの女王」(エチオピア)は有名である。
 また、彼の妻も世界中から集まり、その数は700人にのぼった。しかし、妻にせがまれるままに異国の神々の祭壇を数多く造り民心が乱れたことや、栄華を支えた重税への不満などから、彼の死後ほどなくして王国は分裂した。


2017年4月23日日曜日

③ モーゼの十戒

《 モーゼの十戒 》
 ノアから11代目にあたるアブラム(=アブラハム)が75歳のとき、チグリス、ユーフラテス川の北西にあるカナンの地を神から与えられ、イスラエル民族の祖となった。
 アブラムの孫ヤコブ(=イスラエル)の時代に世界規模の飢饉が発生し、彼らはカナンを離れてエジプトに移りすんだ。ファラオからゴシュエンの地に住むことを許されたイスラエルの民は、しだいに数を増しついには成人男性だけで60万人に達した。そして、彼らの数と力を恐れたファラオからしだいに過酷な労働を強いられるようになった。

 カナンを離れて430年が過ぎた頃。神の啓示を受けたモーゼが帰郷を願い出たが、許されなかった。ファラオにとってイスラエルの民は、重要な労働力だったからだ。モーゼは神の意志であることを示すために、杖をヘビにかえたり、町中にカエルをあふれさせたりする等の奇蹟を行ってみせたが、ファラオ側の魔術師も同じことをして対抗するので、しだいエスカレートし、ついには疫病や蝗害を呼び寄せるまでになった。緑を喰い尽くされ国中が暗闇に覆われるに及んで、ファラオもやっと観念しイスラエルの民の出国を許した。

 イスラエル民族のカナンへの旅は苦難の連続だった。神が与えてくれるマナを食糧に荒れ地を歩き続けた。ことある毎に不平や神への不信を口にする民に対して、神は途中のシナイ山で、守るべき基本的な十の戒めをモーゼに与えた。それに続いて祭事の作法を、祭壇等の寸法や製法も指定しながらこと細かに示していたが、その最中にも民は十戒のひとつを破りうかれ騒いでしまった。
 「皆殺しにしてやる」と怒る神を、モーゼは懸命に説得し事なきを得る。一方で、民を諭し神の幕屋の建設にとりかかった。このようにしながら40年をかけて、ヨルダン川のほとりまでたどり着くことができた。向こう岸にカナンの地を望みながらモーゼは生涯を閉じるのだが、神と顔を合わせて話す彼のような預言者は、その後現れることがなかった。

 さて、古代イスラエル人の宗教からユダヤ教、キリスト教、イスラム教が生まれるのだが、この神は、世界の他の神々とはまったく異なっている。他の神々は自然の力を擬人化したもので、自然から生まれ成長し子を産みやがて死ぬ。しかし、イスラエルの神は生きて人格を持ちながら、生まれも成長もしない、女神という言葉さえない。自然に対して完全な支配力を持ち、歴史をも支配する唯一で絶対的な主である。

 古代イスラエルの神は二者択一の神である。YesかNoか、契約を守るのか守らないのか。契約を破ったと判定されれば、ノアの洪水やソドムとゴモラのように皆殺しにされる。この厳密さが、後の論理学や数学の発展につながり、ヨーロッパ諸国が論争の技術を重視し、さらには国家規模の論争の結果として国際法を発展させる礎となった。
この項では「ドレの旧約聖書」(宝島社)
と「数学嫌いな人のための数学」    
(小室直樹 東陽経済新聞社)
を参考にしました


2017年4月20日木曜日

脳のはたらき④「由来がわかる」「決まりがわかる」


《 ストーリーをつかむ 》
 子どもが、夏休みの終わり間際にやや厚めの文庫本を持って「この推理小説で読書感想文を書こうと思うのだけれど、なかなか書けない」と相談してきた。読み終わったのかを聞いたら「今、公園で死体が発見されたところ」なのだそうだ。それってほとんど最初じゃないの?

 推理物の多くは、ドラマでも小説でも謎をはらんだまま物語がすすみ、名探偵が最後に犯人の行動を時間の流れにそって説明することでトリックが解明される。身の周りのしきたりなどにも、由来を聞いて「なるほど」と納得させられることは多い。
 例えば、「賞状に句読点(「。」や「、」)が使われないのは、句読点の入った文章を目上の人に出すのは失礼との考え方があったから。句読点といっても、漢文を読みやすくするために使われる「レ」や「一」「二」などの記号のことで、読みやすくはなるが慣れた人には必要ないため、これらの記号のついた漢文を読んでいると「学のない人」と思われたのだそうだ。
 また、西洋のコンマやピリオドの影響を受けるようになった明治より以前は、もともと文章に「。」や「、」をつける習慣がなかったため、賞状や感謝状には敬意をこめて句読点を使わないのだそうだ。「なるほど!」

《 きまりに当てはめる 》
 アイザック・アシモフの有名なSF小説「われはロボット」は、次の3つのルール
① ロボットは人間を傷つけてはいけない。また、そのような危険を見過ごしてはいけない。
② ロボットは①に反しない限りで、人間の命令に従わなくてはいけない。
③ ロボットは①や②に反しない限りで、自分の身を守らなくてはいけない。
に従っているはずのロボットが、この「ロボット三原則」から逸脱した行動をとったように見えた事件について、その謎を解き明かしていく物語。
 この小説ではロボットの不可解な行動が、実はきまりを守ろうとした結果であることが明らかにされていくわけだが、「きまり」に従って物事が動いていることに気づくと、人間は「わかった」と感じ安心できる。一方で、そうでない場合にはわけが分からなくなり混乱してしまう。


2017年4月19日水曜日

脳のはたらき③「立体が分かる」「しくみが分かる」


《 空間関係をつかむ 》
 左のような線のつながりを見て、サイコロのような立体をイメージできるのは、脳が空間関係をつかもうとはたらいているから。
 折り紙のでき上がりを予測したり、野球の大きな当たりを後ろ向きに追いかけて振り向きざまにキャッチしたりする時に発揮されるのも同じ能力。
 しかし、私も含めて、これらをにがてに感じる人は多いと思う。この能力を高めるには、折り紙にしろ野球にしろ、くり返し練習することしか方法はないようだ。

 以前、月や惑星の満ち欠けを、黒板に描いた円で説明したときに、スッキリしない顔をしている生徒がいるので、円を描くかわりに球形のボールを貼り付けたら、それだけでその子が「わかった!」と叫んだことがある。

《 しくみを知る 》
 昔、身のまわりにある道具の多くは、子どもにも原理やしくみが理解しやすかった。友人の持っていた怪獣のプラモデルが車輪でなく歩いて移動するのに驚き、その仕組みを見せてもらったときの喜びが忘れられない。

 さらに昔、古代の人々も自然をながめては、いろいろな不思議を感じたことだろう。「夜空が暗いのはなぜか?」「星はなぜ光るのか?」「星座は動くのに、形が変わらないのはなぜか?」そして、そのしくみを考えた。

 「空と地上の間に光をさえぎる幕がかけられるから夜になる」「星は、その幕にあいた虫食い穴で、そこから空の光がもれているのだ」「誰かがその幕を、ひと晩かけて引き、取り除くと朝が来る」「そのとき、虫食い穴も幕といっしょに動くけれど、穴の配置は変わらないから星座は同じ形を保つのだ」

 たとえ見当はずれでも、しくみに納得できると「分かった!謎がとけた!」と、喜びが得られる。

2017年4月18日火曜日

脳のはたらき②「いろいろな『分かる』がある」


 わかった!!と感じるのは自分の心。心の中の問題なので、他の人からみると「まだまだ分かってないなあ」と思える時や、まったく間違った答えなのに「わかった!」と感じてしまう場合もある。どんな時にヒトは「わかった!」と感じるのだろうか?その条件を整理してみる。

《 全体をつかむ 》
 全体が見えるとわかる場合がある。例えば、今日が何日かはっきりしなくても「4月の中頃だ」というように、だいたいの見当をつけることができる。我々には時間や場所についておおよそこの辺だ、と見当をつける能力が備わっている。しかし、これには個人差があり、この感覚のすぐれた人は、頭の中に全体を見わたすことのできる地図を備えているといえる。
 例えば、テスト勉強に取り組むとき、全体像をきちんとつかんでいて「こことここが大切だ」「これくらいのペースで勉強しないと終わらない」などと見当をつけることのできる人がいる一方で、全体の見通しを持たずにヤマカンだけで試験に臨んでしまう人もいる。やはり、目的地に行くには全体を見通せる地図を持っておくのが良い。

《 整理する 》
 我々は、頭の中に知識の整理棚をもっている。未知のことがらに出会ったとき、それが整理棚のどこかにスポンとおさまると「わかった!」と感じる。

 問題なのは、棚のどこに入れたら良いのかわからないことがらに出会ったときだ。そのとき、それまでに自分の作ってきた整理棚を一度こわして、整理するための新しい基準をつくれることが大切。それのできる人は、自分の中の価値観を見直しながら整理棚を何度もつくり直すので、少々のことでは困らないしっかりとした知識の整理棚を持つことができる。


2017年4月17日月曜日

脳のはたらき①「はじまりは『記憶』から」


 自己啓発のために、脳のはたらきに関する本を数冊ほど読んだ。けれども、その内容さえすぐに忘れてしまいがちなので、まとめておこうと考えた。

《「記憶する」ためになまえをつける

 脳の様々なはたらきの基本になっているのは「記憶」。くり返し何度も思い出すことが、記憶を長くとどめておく方法。すぐに忘れてしまう記憶と、いつまでも消えない記憶の違いは、印象の強弱ではなくて、思い出した回数の違いにあるらしい。
 さまざまな記憶の中でも、体験したことがらの記憶が最も心に残りやすい。「体験」では、できごとの内容だけでなく、「ドキドキした」や「悲しかった」などの心の動き、周りの風景や音やにおい等もいっしょに記憶される。

 体験を長く記憶にとどめ、時どき思い出せるようにするためには「なまえ」をつけるのが効果的。「夕焼け」というなまえから、一面に赤くそまった空の色や、友人と交わした別れのあいさつ等の記憶が呼び起こされる。
 ただし、りんごやミカンなど「モノ」のなまえは分かりやすく覚えやすいが、モノでない「事柄」のなまえは分かりにくいと同時に覚えにくい。また、分かりやすいはずの「モノ」のなまえも相手が自分と同じ意味で使っているとは限らないので、注意が必要。

 さらに、知らないなまえを聞いた時に、はじめはその意味を知りたいと感じるが、現代のように新しい言葉が次々と出てくる時代には、一つひとつ確かめることができなくなる。その上「たぶん、こんな意味だろう」と思って使っても会話の成り立つことが多いので、しだいにきちんと知ろうとしなくなり怠けぐせがついてしまうことにも注意が必要。

2017年4月16日日曜日

変身するバッタのはなし


 天使はコン虫かも?という話のつながりで、今日は変身するバッタの話。
 トノサマバッタは気温の高いむし暑い場所で育つとトビバッタに変身する。トビバッタは群れをつくって生活し、エサを食い尽くすと、空中を飛んで新しいエサ場に移動する。
 トノサマバッタにくらべてからだの色が黒く、飛ぶ力が強い。ワタリバッタとも呼ばれ大群で飛行機の邪魔をしたり、食料不足や飢饉をひきおこしたりする。
 トノサマバッタがトビバッタに変身するしくみはこうだ。イネ科の植物が茂る平地にバッタの卵がたくさん産みつけられると、その幼虫は密集状態になり互いにからだがこすれ合う。すると、その刺激で呼吸が活発になり体内に酸化物がたくさんつくられる。トビバッタの色が黒いのは、この酸化物のはたらきだ。
 トビバッタの黒い色は太陽光線をよく吸収し体温を上げるので、トノサマバッタにくらべて強い飛ぶ力と活発な性質を持つようになるというわけだ。

2017年4月14日金曜日

深いはなし

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《 
武 道 》
 若くして剣道の七段を取得した人からこんな話を聞いた。段審査を目指して稽古をしているときに、地元の先生から「遠くから攻めようとして無理をしている。相手にあと一寸(約3cm)近づいて、技を出した方が良い。」とアドバイスを受けた。
 学生時代の恩師が隣の県におり、大切な試合などの前にはいつも教えを受けていたので、今回も審査の前に訪ねて稽古をお願いした。すると、そのときのアドバイスも「あと一寸、相手に近づきなさい。」だったそうだ。
 わずか3cmのことについて、同じアドバイスを受けたという話に驚いた。高いレベルの人の技は、親指にも満たない距離の長短に影響を受けるほど緻密なのかと思った。

《 稲 作 》
 近くで農業を営んでいる人から聞いた話。
 若いころ、父親の田んぼを手伝うのが嫌だった。泥が特に深くて、足が太ももまで沈み動くのも大変だった。文句を言うと、オヤジに「だから良いんだ」と言われた。「根が泥の深くまで伸びるから、少々の日照りでも、うちは米が穫れる」と説明され納得したそうだ。
 なるほど。

 

2017年4月13日木曜日

天使は飛べるか?


 鳥には、竜骨突起と呼ばれる骨がある。これに翼を動かすための大きな筋肉がくっついていて、鳥は空を飛ぶことができる。

 昔、人間のなかにも鳥と同じように空を飛ぼうと試みた人たちがいた。しかし、計算にもとづいてどんなに良い翼をつくっても飛ぶことはできなかった。
それは、翼を動かすのに必要な強い筋肉がなかったからだ。足の力をつかってもまだ足りない。空を飛ぶためには、もっと強い筋肉とそれを支える骨が必要だったのだ。

 竜骨突起があるので、鳥の胸はみんなピンと張り出している。鳥以外の空を飛ぶ生物、たとえばコウモリにもちゃんと竜骨突起はある。
 古生物学者で地質学者でもある井尻正二さんの、小・中学生向けの本の中に「天使はとべるか?」というお話があった。天使の胸はペタンとしていて竜骨突起があるようには見えない。仮に強い筋肉があっても、それを支える骨がなくては十分に力を発揮することはできない。だから、翼はあっても天使は空を飛べないだろう、という内容だった。


 それでも、もし天使が空を飛べるなら、可能性として残っているのは「天使はコン虫の仲間」ということだろうか。コン虫なら竜骨突起がなくても羽を動かして空を飛ぶことができる。
 コン虫にも骨格と筋肉があり、すばやく動くことができる。力も強い。外骨格と呼ばれ、骨でからだの外側をスッポリと包んでいる。我々とはずいぶん異なったつくりだが、筋肉を支え、からだの内部を保護するなど、はたらきは我々の骨格と同じだ。

2017年4月12日水曜日

「2017」は素数


 昨年の1月に、アメリカの大学によって約2233万桁の素数が発見された、とのニュースがあった。大きな素数が注目されるのは、暗号で情報をやり取りする場合の鍵として素数が利用されているから。

 桁が大きいほどセキュリティの面で安全な鍵になるらしく、大きな素数を見つけては販売している企業もあると聞いた。
 素数が無限に存在することは、古代ギリシャ時代にユークリッドによって証明された。しかし、素数を簡単に見つけ出す方法は不明で、コンピュータを使ってしらみつぶしに計算する方法がとられている。
 また、素数に関しては「周期ゼミ」も話題になった。北アメリカにしかいない蝉で、周期的に大発生をする。50億匹が1平方メートルに40匹の割合でひしめき合い、鳴き声の大合唱で難聴になったり樹液を吸われた木が枯れたりするそうだ。
 その周期が13年や17年など、素数になっていることの理由が長い間わからなかったが、その謎を解き明かしたのは、数理生態学者の吉村仁教授だ。
 大発生が起きるまでの間、セミは幼虫として土の中でくらしているから、17年蝉の場合で17年間が幼虫の期間ということになる。この期間が素数であることが氷河期等の厳しい時代を生き抜く上で有利にはたらくのだそうだ。
 「2017年は素数」や「素数ゼミ」の話を聞くと、怪獣ファンの自分は、2017年ぶりに地上に現れる巨大なセミをついイメージしてしまう。

2017年4月11日火曜日

ご近所図鑑③(春の草花)

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 詩人の長田弘さんの随筆に、鉢植えの花は「道を通る人への、物言わぬ、親しい挨拶の言葉です」との一文があった。それから、ご近所さんの庭先にも関心を払うようになった気がする。
 我が家の庭は少し雑然としている。というか、すき間なく様々なものがびっしりと植えられている。美的センスを疑われそうだが、これはこれで畑仕事が好きな母らしい挨拶の仕方だと思う。











2017年4月10日月曜日

② バベルの塔

《バベルの塔》
 ヒラルムはエラム(現在のイラン地方)に住む鉱夫だ。塔の建設に参加するために、ロバをつらねた商人のキャラバンといっしょに陸路をたどりバビロンへやってきた。何世紀もかけてレンガを積み上げてきた塔がついに天に届き、残された仕事は空の丸天井に穴を開けることだけになっていた。
 塔は基部の一辺が100m高さ20mの四角い台座の上に築かれている柱だ。周囲を通行用の坂道がらせん上にとり巻いている。坂道はむき出しではなく、日陰をつくるための幅広の柱によって、太陽の日射しから守られている。そこを、車力と呼ばれる専門家が建設資材をのせた荷車を引き4日間かけて登る。その先には別の車力が待機しており、さらに4日分だけ上に登る。このようなバトンタッチを繰り返して、必要な物資は上に届けられる仕組みだ。
 塔の途中の所どころには小さな町がつくられており、そこには神殿や商店もある。職人とその家族だけでなく争い事を裁く判事も住んでいて、中には一度も地上に降りたことがないまま生活している者もいる。ヒラルムは荷車の一団といっしょに塔を登り続け、およそ4ヶ月で先端に到着した。
 空の丸天井に穴を開ける作業は、ツルハシで岩を突き崩せば良いというような単純なものではない、ちみつな花崗岩でできているらしい丸天井は固く、削り取ることは困難で、何よりも穴の場所によっては天の貯水池の底が抜けて、再び大洪水を起こす危険もある。
 石の専門家であるエジプト人のチームと力を合わせ、丸天井の掘削はすすめられた。万が一、水が吹き出してきた場合に備え、それを遮断するための巧妙な仕掛けを何重にも用意した。そして遂に、空の丸天井に穴の開く日がやってきた。

テッド・チャン著「バビロンの塔」より
(「あなたの人生の物語」早川書房 所収)

2017年4月9日日曜日

① 楽園追放

《楽園追放》
 最初の人類、アダムとイブはエデンの園に住んでいました。そこはチグリス川とユーフラテス川の上流にある楽園です。ふたりは何の不足もなく楽しい毎日を送っていましたが、ある日蛇にそそのかされて「知恵の木の実」を食べてしまいました。それは、神様から「食べてはいけない」と禁じられていた木の実でしたので、ふたりは罰として楽園を追放されてしまいます。
 「禁」の字の由来は、神様がエデンの園の「林」にある木を「示」して、「この実を食べてはいけない」と禁じたこと、と村山秀太郎氏の「よくわかる中東の世界史」(中経出版)の中に書かれていました。うまい!

《ノアの箱船》
 楽園を追われたアダムとイブは、ひたいに汗を流しながら大地をたがやすくらしを続けました。はたらきづめにはたらき、しだいに子孫の数も増えていきました。この頃の主な産業は農業と牧畜だったようです。しかし、この人類の祖先たちには悪事をはたらく者が多かったので、とうとう神様から見放されてしまいました。神様は人類を、洪水で滅ぼしてしまうことにしたのです。
 清らかな生活をおくっていたノアの家族だけは、命を救われ洪水の後の新しい人類の祖先になりました。神様のおつげを聞いて大きな船をつくり始めたノアの家族を、近くの人々は笑い者にしました。誰も彼らの言うことを信じません。

 ノアと3人の息子で4人、それぞれに妻が4人。合わせて8人が口をそろえて洪水の到来を伝えたので、「船」には「八」と「口」があると、村山先生が先ほどの著書のなかで書かれています。なるほど!

2017年4月8日土曜日

地球と生命の歴史⑧「恐竜学ことはじめ」


 前回、ヒトの進化をたどってみた。我々の祖先が古生物界のスター、アンモナイトや恐竜だった時代はなく、鳥のように大空を飛びまわった時代もない。ヒトはこれまで、他の生物の影におびえながら、脇役としての歩みを続けてきたようだ。

 「生物の歴史」から「人類の歴史」へと筆を進める前に、素通りをした古生物界の大スターである恐竜についても、触れておきたいと思う。

 「恐竜絶滅の謎」(アドリアン・J・デズモンド著 加藤秀 訳、二見書房)は、多くの人が恐竜に対して「巨大で鈍重なトカゲ」というイメージを抱いていた時代に、「鳥に近い、温血の動物」という斬新な恐竜像を示した入門書である。恐竜研究の黎明期からの歴史が記されており、研究者たちのドタバタともいえる苦闘のようすが興味深い。

◯ モササウルス
海表面で生活する肉食の大型ハチュウ類。
大きいものは体長18メートルに達した。
 1770年、オランダで巨大な顎の化石が発見され「マーストリヒトの巨獣」と呼ばれた。当時は、種の絶滅を唱えることは神の御業を冒涜する行為、と考えられていたが、フランスの古生物学者キュビエが、熱帯のオオトカゲよりさらに巨大な、きわめて古い時代に生きていた太古の生物と断定した。

◯ イグアノドン
当時水晶宮に展示されたイグアノドンの
像(左)と現在考えられている復元図(右)
 1853年、イギリスの動物学者オーウェンは化石資料の乏しさを想像力で補い、恐竜の復元模型を完成させた。大勢の見物客がノアの洪水の前に地上に栄えた爬虫類の王をひと目みようと押し寄せ、評判を呼んだ。巨大で鈍重そうな四つんばいのトカゲやウロコにおおわれたカエルの姿は、その後、一世紀以上にわたって恐竜の代表的なイメージとなった。

◯ ラエラプス
コープが描いた恐竜ラエラプス
 1858年、アメリカの解剖学者リーディは後足にくらべて前足が極端に短いハドロサウルスの化石を見て、カンガルーのように立っている姿を想像した。可能性として、カエルのような姿も残されたが、1866年にコープがラエラプスの化石を発見したことで決着がついた。
 コープは、アメリカを代表する古生物学者だが、エネルギッシュなあまり慎重さに欠けるところもあった。尻尾の先に頭骨を取り付け、それをエラスモサウルス(リボンのような爬虫類)と名づけた失敗は、古生物学者マーシュとの確執にまで発展した。

◯ ディプロドクス
体長(約30m)に対して、体重40tは
巨大恐竜の中でもスマートな部類
 1969年、アメリカの古生物学者オストロムは「恐竜は温血で、寒冷地でも活動できた」と主張した。当時の定説は「中生代の地球はどこも一様に熱帯の気候だったので、冷血の恐竜も高緯度の地域に分布できた」であった。
 しかし、彼は直立して生活するほ乳類や鳥類が、這って生活するワニやトカゲにくらべて莫大なエネルギーと酸素を消費していることに着目し、恐竜も立ち続けているためには、体温を高く保ってエネルギーを産み出し続ける必要があったはず、と考えた。
 恐竜温血説には、骨の微細構造や生態学の分野からも賛同者が現れ、1973年にかつての北極圏にも恐竜の進出していたことが明らかになり、その正しさが証明された。仮に、恐竜の生理機能がトカゲと同じだとすると、ティラノサウルスはもちろんダチョウによく似たストルチオミムスでさえ、ヒトの歩く程度にしか全力疾走できないことになるそうだ。


 その60年ほど前に、カーネギー研究所のヘイも、冷血の恐竜には立ち続ける体力の無いことに気づいていた。
 しかし彼は、「恐竜は冷血」の考えを捨てきれず、ディプロドクスはワニのように水辺を這って生活していた、と結論づけてしまった。
 ワニと違って胴が扁平ではないので、地面に溝がないと歩くことができない等、後に誤りが指摘された。

 ちなみに、私の所有する子ども用の古い図鑑には、巨大恐竜が水中から長い首を出して呼吸するようすが描かれている。が、これも実際には水圧が大きいために不可能であることが明らかになった。現在では、これらはみな水辺や水中ではなく草原で生活していたと考えられている。

◯ 始祖鳥
昆虫を捕えるのにも役立ったはずと
著者のデズモンド氏は考えている。
 ダーウィンが「種の起源」を発表したのは1859年。その2年後の1861年に始祖鳥の化石が発見された。
 そのため、これこそが進化の事実を示す「動かぬ証拠」と考える研究者と、それに反対する研究者の主張とがぶつかり合い、見解が定まるまでに100年以上を要した。
 1973年に発表された、オストロムの論文以降「始祖鳥は小型の恐竜が保温のための羽毛を手に入れることで誕生した」との見方が定着しつつある。
 羽毛はあったが、体重や筋力・骨の構造などから、空を飛ぶことはできなかったと考えられている。真の鳥類が出現したのは1億4千万年後で、歯や尻尾をなくす減量が必要だった
 長いあいだ、始祖鳥は「恐竜より古い時代の冷血ハチュウ類に羽毛が生えたもの」で、恐竜とともに一掃されたと思われていたが、恐竜から始祖鳥を経て鳥へと続く進化の道筋が示されたことで、巨大だがのろまなトカゲと思われていた恐竜のイメージも、鳥によく似た俊敏で知能の高い生き物へと変わっていった。

◯ 翼竜
テラノドンとプテラノドンは
同じで、歯のない翼の意味。
 翼竜は鳥類よりもずっと古い時代に登場し、恐竜とともに滅んだ。最初の化石が発見されたのは1784年で、始めは悪魔と同一視されたり水生の生物と考えられたが、新たな化石が発見されるたびにそのイメージが大きく変更されていった。
 現在は、鳥と同程度の高い知能を持つ温血の動物で、全身が毛に覆われ子育ても行ったと考えられている。大きさについても、はじめは「最大でも大型のコウモリ程度」と推測されたが、およそ100年後に発見されたテラノドンは翼のさしわたしが7メートルにもおよび、優れた滑空能力で生涯のほとんどをアホウドリのように、空中で過ごしたと考えられている。
※ 1970年代になると、テラノドンの約2倍の大きさを持つケツァルコアトルスなどさらに大型の翼竜が発見された。





2017年4月7日金曜日

ご近所図鑑①(おことわり)


 庭先や散歩の途中で見かけた草花を写真に撮ることも楽しみの一つです。 
 右のキャベツが春の3月で、しだいに夏から秋へと撮影した順に並べてみました。
 なまえは植物図鑑や園芸図鑑で調べました。自信のないものもありますし、商品名や品種名など、種の名前でないものも含まれています。
  たとえば、クフェアは同じなまえで数種が販売されているそうで、写真はその中のメキシコハナヤナギにあたるようです。
 同様に、最後尾のアスクレピアスもクラサヴィカ(和名トウワタ)と呼ぶのが生物学的には正しいようです

 とは、いうものの「これだ!」と、やっとたどりついた名前の示しているのが、種の名前か品種名かあるいは商品名か、と判別するのはとっても煩わしく、私にとって荷の重い仕事です。
 それでも、ふと目にした見慣れない植物の名を知りたいと思った時に、少しの手がかりでも無いよりはあった方が良いと考え、投稿することにしました。
 不備を承知でupしていきます。ご容赦ください。コメント等で正していただければ、有難いです。


地球と生命の歴史⑦「ヒトの直系」


 「ヒトの直系」(井尻正二 著、大月書店)は、水素からヒトまでの、進化の過程をたどったユニークな本。1977年の発行である。今回は、本書を参考にしながら、
生命誕生からほ乳類の登場までをたどってみる。

《先カンブリア時代》
クロストリジウム(40億年前)
 糖やアミノ酸などの有機化合物を分解して、活動のエネルギーを得る。大気中に酸素のない時代に誕生した。生命の起源にもっとも近い生物といえる。

硫酸還元菌
 海底や湖底に住む。25℃〜40℃で生活するが、0℃でも生活できる。硫酸塩を硫化水素に変化させることで活動のエネルギーを得ており、酸素がなくても生活できる。

藍藻(30億年前)
 DNAや葉緑素は細胞内に散らばっている。それらを包み込むための核や葉緑体などのつくりは、細菌と同様に持っていない。

鞭毛虫(20億年前)
 もっとも原始的な単細胞生物で、植物性鞭毛中と動物性鞭毛中に大別される。1本ないしは多数の鞭毛をもち、波動膜や偽足をそなえたものもある。分裂の他に、出芽や有性生殖によってもふえる。

中生動物(7億5000万年前)
 単細胞生物と多細胞生物の中間と考えられている動物。細胞の数は20〜30個で、多細胞生物の中では最少。ニハイチュウは、体内に組織や器官をもたず、マダコの腎臓に寄生して生活している。体長1〜7mm。

海綿動物(約6億年前)
 壷の形をしていて、底は水中の物体に付着する。体の表面にある無数の入水孔から水と食物を吸収し、胃を通過したあとは上部の大きな排水孔からはき出す。

ヒドロ虫
 クラゲの仲間。その中で、もっとも単純なつくりをしている。海綿動物からヒドロ虫を経て、まずクラゲ類、続いてサンゴやイソギンチャクの仲間が登場したと考えられている。どれも、刺胞という毒針をもち、神経や筋肉はあるが中枢神経はない。また、口と胃はあるが肛門がなく、不消化物は口から排出する。
カツオノエボシとヒドラ
 猛毒で有名なカツオノエボシは、ヒドロ虫の群体。淡水に住むヒドラもよく知られている。
 以前は腔腸動物としてまとめられていたが、クシクラゲなどが有櫛動物として独立し、ヒドロ虫など他のクラゲの仲間は刺胞動物と呼ばれる。
 この後、枝分かれした別の系統からは、古生代のサンヨウチュウや中生代のアンモナイトなど、古生物界のスター達が誕生している。

《古生代》
ヤムシ(5億3000万年前)
 左右対称のからだで、口から肛門につながる消化管をもつ。脳と発達した神経節もそなえている。体長は2〜3cm。

エノコロフサカツギ
 背骨のもととなるつくりがあり、原索動物と呼ばれる。セキツイ動物と無セキツイ動物の中間に位置する。現生のエノコロフサカツギは体長1mm弱で、水深200〜300mの海底に住んでいる。

ホヤ
 食用として親しまれている。膜で覆われたからだの上部に入水口と出水口があり、海水中の微生物をろ過し消化管に送る。食物は胃や腸を経て肛門に達し、最後は海水とともに出水口から排出される。
 幼生はオタマジャクシと呼ばれ、尾で泳ぐ。幼生のもつ脊索・神経管・尾は成体になると退化するが、脳・心臓・内柱・消化管は成体にも残る。
 このため、ホヤの幼生がセキツイ動物の直系の祖先と考えられている。

コノドント(5億年前〜)
クリダグナサス
 コノドントとは、「円錐形の歯」の意味。これを備えた動物の仲間もコノドントと呼ばれ、その中でもクリダグナサスは最も原始的な魚と見られている。体長は数cm〜数十cmで細長い円筒形のからだ。前向きにあごの無い口が開いていて、そのまわりと内側に小さな鋭い歯がならんでいる。浅い海の中を活発に泳ぎながら、小型の動物をエサにしていた。

ケファラスピス(4億年前)
ケファラスピス
 体長18cm、からだの前部分は頭甲、胴から骨板におおわれている。頭甲の下面に開いた丸い口で食物を吸い込む。ヒレが発達しており、からだの後方をくねらせて、かなり泳ぎまわることができたと考えられる。

ケイロレピス
ケイロレピス
 体長42cm。現在、魚の中で硬い背骨をもつグループは全体の95%。発達したヒレとエラ、うろこと浮き袋が特徴。世界中に広がり、様々なエサを食べている。
 ケイロレピスはそれらの魚たちの先祖。背骨はまだ十分硬くなってはいなかったが、するどい歯と上下に大きく開く口を備えていた。
 一方、背骨が柔らかい魚のグループにはサメやエイが属しており、このグループの魚はすべて肉食。また、3番目のグループには、ヤツメウナギとヌタウナギの仲間がいてあごの無い吸盤のような口で、他の魚に寄生したり泥の中のプランクトンを食べたりしている。


エウステノプテロン(3億8千万年前)
 体長60〜100cm。ヒレに骨があり、河底の植物をかきわけながら泳いだ。河で不足しがちなミネラルを補うために、骨格が発達した。硬い背骨をもつ魚の仲間だが、両生類に似た特徴も備えており、エラと肺の両方をもつ肺魚の仲間。
 
イクチオステガ(3億6500万年前)
イクチオステガ
 体長1.2〜1.5m。最初の両生類だが、魚類の特徴も多くのこしている。淡水の肉食性で、幼生はえら呼吸をしていたと考えられる。
 地上で体重を支えたので、扁平なからだをしていた。歩くときは、頑丈な脚でからだを持ち上げ、魚のようにからだをくねらせた。

パレオチリス(3億2300万年前)
 もっとも原始的なハチュウ類。30cmくらいの大きさで機敏な夜行性のハンター。鋭い歯で昆虫などを食べていた。

バラノザウルス(2億8千万年前)
 体長1〜1.5m。ホニュウ類形ハチュウ類といわれ、ホニュウ類の直系のハチュウ類。
 脚の骨格は完成形に近く、活発に運動できた。犬歯や臼歯など、場所によって異なる形の歯を持っていた。水辺に住み、魚を食べていたと考えられている。

ディメトロドン2億8千万年前)
ディメトロドン
 体長1〜3m。バラノザウルスの後えいといわれ、形の異なる歯を使い分けて、史上初めて咀嚼をした生物。
 背中の大きな帆が特徴で、体温を調節し他の生物が動けないような早朝にも活動できたと考えられている。

《中生代》
リカエノプス(2億6千万年前)
 体長1.2m。ハチュウ類だが、恒温でからだが毛におおわれている。母乳で子を育てるなどほ乳類のような生活をしていた。脚もトカゲのように這うのではなく、獣のようにからだを持ち上げ活発に運動することができた。

モルガノコドン(2億年前)
左からモルガノコドン、アンフィテリウム、デルタレリジウム
見た目は似ているが、子育ての仕方はしだいに変化していった。
 ネズミくらいの大きさ。ほ乳類だが、カモノハシのように、卵を産み乳で育てる。昆虫などを食べていたと考えられている。

アンフィテリウム(1億7千万年前)
 ネズミくらいの大きさ。ほ乳類だが、カンガルーのように子を育てるための袋をもっていたと考えられている。

《新生代》
デルタテリジウム(6千万年前)
 中型のリス程度の大きさ。人と同じように、胎盤で子を成長させてから出産し母乳で育てる、多くのほ乳類の共通の祖先と考えられている。